6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

愛とエゴ

長女の小学校のクラス懇談会、副校長先生・学年主任の先生・新担任・サポートの先生の4人が前に並んで、34人中25人の母が出席した中で行われました。経緯や状況を副校長先生&学年の先生から、そして新担任の先生&サポートの先生の自己紹介で終わりました。以前、学校の相談先の方を通じて伝えたことが、副校長先生の話の中にきちんと入っていて、わたしとしては「感謝」の懇談会でした。これで劇的に変わる!と楽観視しているわけではないのですが、とりあえず、具体的な心配事への対応はきちんとしていただいた、と感じたし、副校長先生も具体的な様子を少し挙げながら、クラスが落ち着かなかった状態だったことを認めて、建前で終始せずに誠意をもって話してくださったと思いました。


しかし、親心はフクザツなもので、こうして建前のみならず、不利なことも認めて話してくださったこと、4人の先生方がそろって「学年はもちろん、学校全体でこのクラスをサポートしていきます」といわれたら、やっぱりそれ相応に「落ち着かなかった」んだなぁと認識しました。どこか「確かに騒がしいけれど...」と思っていたからなぁ...うん。まぁ、ね。


今週の課題は「愛とエゴ」。自分の言動が「愛・エゴ」どちらに基づいているのか、ってこと...そりゃぁ、確かに、いつも「エゴ」は出てくるわけだけれども、そこの葛藤をちゃんと意識して、結果として自分が決めた言動は「愛に基づくもの」にしたい、せめて近づけたい、と思っているわけで。
以前も書いたとおり、「エゴ」だけで接してくる人に対しては(そしてそれを改める気持ちは一切ない人であるなら)、あえて近づかず、距離を保ちながら、相手にしない、っていう方法を選択するつもりですが。


夏休み前に何人かのお母さんと話をして、副校長先生に伝えていただいたこと...その行動も、話し合った内容も、勿論「ウチの子のため、ウチの子のクラスが」というのが根底にあるけれども、いろいろウワサされている子(たち)や先生に対して「原因」を求めて責めることだけはしたくない、というのが第一にあって話を進めたことが、こうして話がちゃんと伝わって、きちんと対応していただいた、ってことを実感しました。だから「感謝」の懇談会になったなぁと思った理由です。
不安や心配が完全になくなったわけではないけれど、これからも見守っていこう、と思えたし、先生たちの話にも建前を超えたものを感じられたし。


おりしも、身近で揉め事が起こっていて、これがもうエゴまるだし、で...ひたすら「訴訟ごと」「勝負ごと」のような感覚で、ちょっとでも自分(と子ども)は損をしたくない、優位に立ちたい...ということばかりで、何かしらの解決方法とか、和解?みたいな方向は目的に含まれてないの?!と驚くばかりで。言われる側もこれまでの関係の中で、いろいろとやらかしていることはあるし、何を反論してもかばってもらいにくい立場ではあるんだけど...もう「事実」がどうの、っていうことではなく、たとえ事実であったとしても、そういってしまったら、争いにしかならないよ、ってことで。いちばん大事なのは、子ども同士の関係だたり、子どもではないのかなぁと思うんだけど、すっかりそれが後回しになっているように感じます。いや、解決するには、それなりの妥協だったり折れる部分だったり、くやしかったり損をすることもあるけれど、「大事なものは何か」ということを思えば、おのずと...なるはずなのに...それがならない、んだよなぁ...。


ほんと、自分の言動の指針がはっきりしましたよ。いろいろな気づきや学び、自分からも学びを得ているけれど、下のことなどは「見せていただいている」ということを強烈に感じます。大事なものは何かを忘れず、愛とエゴの違いを意識しながら自らで言動を選んでいくことを忘れずにしたいと思います...。