6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

いっぱいいっぱい

なんとなく自分の中で「あれでよかったのか?」という「?」がいっぱい増えてきて、なんだか他人に対して冷たく言っちゃったのではないか、きつく言っちゃったのではないか、自分が思う「正しいこと」を勝手に伝えてしまったのではないか...と揺らいできていました。わたしがいなかったらどうにも回らない、なんてことはてんで思っていないし(<むしろ逆!)、ひとりでなんでもできるつもりでいるわけでは決してないつもりなんだけど...う〜ん。


余裕がない、といってしまえばそれまでだけど、頭の回転が余計に回りすぎているような、そんな感じ。頭だけの余裕はむしろ余っていて、身体がついてきていない、っていう感じかなぁ。いろいろなことが見えすぎているんだけど、実際に対応しきれない、というか。頭がぎゅんぎゅん音を立てて高速回転しているんだよね、かなりの熱を帯びながら...あ、「高速」といっても、あくまで「対自分比」だけど。


バリバリ仕事をしてみたくなった自分がいたりして、すっごく苦笑い。仕事したくなーーい、と思っていたのに(ははは)。
CREA?だったっけかな、勝間和代さんのインタビュー記事を読んで、すごいなぁと思ったり(前は、いろいろな意味において読む気にもなれなかったのに、ね)。


キッカケは、同じ仕事を組んでいる人たちの中に、若干ひとり、すごくあぶなげな人がいて。ストレートにいうと、中途半端な責任感で絡んでくるし、目立つことはやりたいし、仲間に入れて欲しいのだけれど、手を広げすぎて、どれもいい加減になってしまったり、ぎりぎりまで何もレスポンスないし、動かないし...で、周囲がわさわさしていて...すごく困っているんだった。

正直、わたしも困ったなぁ、どう扱うかってところが気になってしまったけれど、先週の数日のうちに、そこの問題はなんとか乗り越えた。その人をどう扱う、っていうのではなく、もう少し離れたところで見守るというかね、それがひいては自分にとっての「防御」にもなるなぁと思って。思いやりをもって見る、ってことだよね。「相手をどうこう思う」のではなく、ひとつひとつ事柄だけを自分がどう感じて、どう対処するか、ってことであって、そこに相手を評価したり決め付けるってことではない、っていうことがぱっとわかった、という感覚かな。


まぁ、今後もその人とは仕事をし続けるので、どきどきする部分はまだ残っているんだけどね。でも、周囲の多くの人たちも感じていることだし、それに対していろいろ動いているのも同じく...だから、ひとりじゃない、っていうのはありがたい。これまた学び、だねぇ。


きっかけは、その人のこともあった週だったけれど、そこでキリキリしているわたし、っていうのもどうかと反省。自分の頭を冷やすのが先じゃん、って気づいた週末でしタ。いささか過剰になっているわたし...なんだろうね。