6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

伝えるのなら...。

最近、とても気になってしまうのは、何かをわたしがしたときに対して、同じことであっても、「〜できなくてごめんね。」という人と、「〜してくれてありがとう。」という人がいるということ。特に、ある人がいつもお礼の話なのに「〜できなくてごめんなさい。すまないと思っています。」という言い方を使う、ってこと。


単なる社交辞令の範囲内で「気の利かないわたしでごめんなさい。」くらいなのかな、ってときもあるんだけど、どうも毎回そうだとやっぱり引っかかってくるようになって。同じことをしても「ありがとう」は勿論、「やってもらってごめんなさい」さえ言わない人よりかはマシなのかもしれないけれど...うーん。


どうせ(?)伝えるのだったら、「ごめんね」というより「ありがとう」と言ったほうが、言うほうも言われたほうも気持ちいいのではないか、と思うんだけどね。軽い挨拶程度でいいのだから、さ。

ヘリクツっぽいけれど、「ごめんね」っていうのは、少なくともなんらかの悪い点を見つけて、それに対して謝るわけだから、もし本心で言っていたとしても、いや、本心で言っていたら、なおのこと、自分に厳しく責める部分が強い分、他人に対して要求するものもハッキリしているはず。わたしも以前よく「〜すべき」という言葉をよく使っていることに気づいて思ったことだけど、そういう縛りが多ければ多いほど、自分の欠点ばかりが見えるし、ひいては他人の欠点も目に付きやすい、って思うんだよね。


それに対して、「ありがとう」だったら、もう少し気楽に使える部分もあるよね。単純に、相手の具体的な言動をぱっと見て言えることだし。「ありがとう」と言ったらおしまい、というかさ、そこでぱっと切り替えられるような、そんなイメージもあるしね。


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謙遜=謙虚、っていうわけでもないと思うし、その人を見ていて思うのは、要領のよさも感じるし(意地悪なわたしだね)、やりたいにもかかわらず、「わたしなんかでは...」といったんひいてみせたりするところもあって、なんだか気になっちゃうんだよね。

いやはや、これはその人への評価、というのではなく、感想でありますわ。わたしの心の中にもそういう動きがあるからこそ、見える部分もあるんだろうと思う。わたしとの比較、というのでもないんだけどね。


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いろいろ勉強ですな。