6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

何がいちばん大切なのか

先日のこと*1に続きがありました。なんというか、その気持ちを抱えたまま、さらに話をひっぱってしまった次第。わたしにとって「何がいちばん大切なのか」ってことを考えれば、即、その後の言動はわかるはずなのに、ついつい、いろいろな利己心を出してしまいました...翌日に、その話題にふれ、またもやその「怒り」の感情を再確認して、その上、お役の仕事もからめつつ「その相手をどうこれから扱っていこうか」という話に至りまして。


人に対して怒ったことや批判的な態度に出てしまったこと、そして、どこか評価して人をランク付けしてしまったことに対して、自分に起こった頭痛と吐き気とかで十分にわからず、今度は同じ症状が子どもに出てしまいました。「頭が痛いよーーー!」「苦しいよー!」と号泣する長男...本当にこんなにひどく痛がることはなかったので、わたしも一緒にパニックになってしまいそうでした。


今回、身に染みてわかったことは、自分が投げたことはその大きさのまま自分に戻ってくる、ってことでした。最初の怒りや不満だけでもたいそうつらかったのに、そこから学ぶことはほんの表面的なことだけで済ませてしまい、さらにほじくり返して、オヒレをつけて、怒りや不満を増幅して投げかけたら、今度は子どもに戻ってきてしまった...確かに、ものすごくつらいし、まさに痛感するってことでした。


ほんと、今はお役をいただいている分、人とかかわることも多いし、人のどろどろした部分を見聞きする機会が増えて、そういったたくさんの人たちとのまじわりの中で、いいこともたくさんある分、いやな部分を感じることもたくさんあるんだなぁ、ということが改めて感じさせられました。そして、その程度の大きさも、それぞれとても大きくなっていることを痛感しました。


お役をいただく、というのは、いいことも悪いことも大きくなるんだってことがいちばんわかりました。自分の立場を忘れて、自分の感情のままの言動をとってしまうことの怖さを今回の大きな気づきとします。いや、どんな立場でもそうなんだけれども。大事なことは何か、自分がめざす方向や姿はどんなものなのか、ってことをいつも忘れずにいれば、自ずと自分の言動や態度も見えてくるんだった、というか。


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興味深かったのは、「このことが今の時期にわかってよかったよね」という人がおふたりいたこと。わたしもたぶん1年過ごしてみて初めていろいろなことが見えるんだろうな、って思っていたけれど、たった?!2ヶ月ほどで見えてよかった、という意識はあったんだよね。今後を思うと、どうしようかっていう部分はあまり感じていなくて、というか、見えないまま進んでいることを思ったら、絶対に見えていたほうがいい!と確信しているし。こういうときの反応もいろいろだよね。

*1:id:rainy63garden:20080522#1211430835