いいこともあれば、そうでないこともある
以前に比べたら格段に余裕があるはずなのに、ちっとも余裕がありません。それでもなんとかやらなければならないことの順番だけを間違わないようにして、すれすれで過ごしています。時折、たのしいことやうれしいことがあって、へんなテンションがやる気となってコトを進められているような、それがいいのか悪いのかはわかりませんが、なんとか日々の予定を過ごしています。
長女の学校の、年度末の集まりで会った人たちとなにげない話をして、すごい楽しかった。この1年のお礼とねぎらいの言葉と、そしてまた会いましょう、と。これまでかかわったお役や係、どこでも最後はほんとうに感謝なのではありますが、でもこれまで以上に、そう思いました。長女の同級生のお母さんとも(別の委員会だったので)今回ほぼ初めて話したのですが、ものすごく楽しかった。いくつかタイプ分けをすると(まさに勝手な印象で)数パターンあるご家庭の教育方針に近いことと、下に男の子がいる、ってことがあったかも。お嬢さんひとりのお母さんからしたら、「ああ息子」に出てくるような(ウチはその豪快さにも欠けて残念ですけど)別のイキモノとしての、リアル話はさぞかし、だったかもしれません。
その「息子」、長男も6年生が目前。もらってきた学年だよりに4月のことが書かれていて、なんだかどきどきします。補習塾ではすっかり6年だったりするけれど、親には意識ありません。公立高への合格実績のリストをもらうけれど、立派すぎる学校ばかりで、なんだか興味もありません。何校か試験の傾向をまとめた紙とか何度かもらったけど、もうちょっと違う意味でのアピールはしてもらえないものか、とチラリ。仕方ないけどね。
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わたしの、あるネガティブな思考パターンについて。ひさびさにそのパターンに陥るようなことがあって、これはほんとうにどこから来ているものなんだろうか、と冷静になって思う。トラウマだの、インチャだの、確かにそうなんだろうけども、年々根深くなっているのか、はてまた単に日常で感じる場面が減っているから、いったんそうなると酷く感じるのか、自分でもよくわからないのだけれど、とにかくやっかい。
今回のこのやっかいさを思って、ふと、ある人のことを思い出した。その人が抱える問題について、わたしは身に覚えのないことととして聞いていたけれど、ちょっとしたことで、わたしも同じなのかも、と。少なくとも似ているところはあるのかもしれないな、と。
ちょっと調べてみようかと思います。解決の手がかりになるといいのだけれど。