6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

かわるがわる

今週は、長男の小学校のお友達とランチに出かけたり、長男のクラスで親睦会があったり、小学校での集まりがあったり、最後はヒサビサお役の集まりと懇談会があって...小学校と幼稚園の間を行ったり来たり...気持ちの切り替えが、というか。


幼稚園だけの毎日だと、当然「みんなのこと」を思いながら(ウチの子:長男は全体の中の一部と思うわけだ)、自分にできること(奉仕)というベクトルに向かっていて、すべての物事を見るようにすればいいのだけれど、その調子で小学校に臨むと、やはり「ズレた人」になってしまうわけでさ。


「自分」は一定の、軸がぶれてはいけないけれど、それでもやはり表現方法だったり、周囲との空気の合わせ方っていうのはあると思う。そこらへんの「自分の出し方」がとても難しい。「出し方」ばかりに気をとられていたら、なんとなく軸がずれていくようなところもあって。


今週は、キレイゴトだけでは済まされないところを詰問されたような、そんな感覚。その場に身を置くことで、避けていたところに直面することがあって、やっぱりそのウラにある、自分の利己心と葛藤しながら...って感じ。特に、小学校のことは、自分の子どものことを思えば、やっぱり文句を言いたくなるし、他人を責めたい部分もどうしてもあって(<あくまでわたしの頭の中や気持ちの中だけのことであって、相手に伝えようというのとは違うけれども)。


長女のクラスの、いろいろある原因と言われる子の親の、ある行動に対して「ええー!」と批判的な気持ちが起こって、ちょっとひっかかった状態が続いていたんだけれども、その「批判的な気持ち」が自分の中で消えたなぁと思ったら、別の人と急に接触することがあって...クラス内のトラブルで「被害者」(のひとり)であるという女の子の母親...強烈なキャラで、前任の先生に対して「そりゃぁ、ちょっとないよ」と思うような発言があって、かなりひっかかっていた人なんだけど...その人と話す機会があって。その話の中に、先の「批判的に感じた」人のことも、また聞いてしまって...ふーー。


先週は「愛とエゴ」の関わり方について、自分が「愛・慈悲」といわれるような気持ちを持って接した物事と、「エゴ」から始まった物事では、あまりにも結果が異なるんだ、ってことを学んだんだけど...「愛・慈悲」をもって考えているつもりであっても、100%それだけ、ってことはなくって、そこには「エゴ」がやっぱりあるわけで。その「利己心」の取り扱い方について、今週はとっても学ばせてもらったわけで。まだ何も解決しているわけではないし、「これでもか!」みたいに見せられているわけだけどね...でも、長女のクラスの状態はもう限界なんじゃないの、と思っている部分があるんだけどさ...ある意味、絶望的。その中から長女なりに感じて学ぶところはあるんだろうけど、正直、悪影響のほうが...って思っているところもあって。


来週は、幼稚園のことだけを考えていれば...かなぁ。どうだか。