6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

いろいろな変化

ずっとひたすら「頭」で物事を考えていたわたし。感情...とりわけ「怒り」のようなことは激しく感じていたものの、それすら、理由を分析したりして、何よりも大事なのは「頭」と思っていた自分。正直、自分の感情も思い、気持ちもなんだかヒトゴトのように感じて、それではいかん!ということで、例の取り組み(「自分と向き合う」)を続ける中で、やっとこさ、心や感情の感覚...以前よりも深い部分も含めて、できるようになった、と思っていたのが最近。

ここにきて、やっぱり「頭」だけで考えたり対応したり処理したりしないといけないことも出てきて、でも同時に、やはり「心」で状況を感じて理解する場面も続いて、そして、幼稚園の内外や、役員としての立場と個人的な部分、いずれにおいても、「心」での理解は大事だったりして、この1週間はひたすら「頭」と「心」がクルマの両輪のように、同時に動いていた、って気がする。

で、自分自身の気持ちまで配慮がいかなくなったとき、「身体」からメッセージをもらっていたのだった。ほんと先週、引き受ける=手を挙げてから、右肩ががっちりと固くなって、手を挙げるにも、寝返りをうつにも、すごく痛かった。動作が不自然な感じになるくらい痛かったし、右側をかばっているようになってしまっていた。そして、首の後ろがぎゅーーっと固くなってきて、うなづけない状態にもなっていて...このところ、少し楽になったのだけれど、それで眠りも浅かったほど。

以前、ここにも書いた本*1によれば、『肩が痛むというのは、他の人たちのためにあまりにも多くのことをしすぎようとしている』ということらしい。『自分にとって必要にないあまりに多くの義務を自分に課している』そうで。
確かに、状況としてはそうだけれど、それって、わたしが勝手に抱いた「義務感」であり、周囲の人たちへの愛からではない、となれば...いやはや、ドキリ、としたわけで。『愛』という言葉に対しては、なかなかねぇ...ハードルが高いけれど。