6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

伝えたいけど、伝わらない

やっと週末になったなぁ、待ち遠しかった。3連休だし、きっとオットは仕事だろうし...と思ったら、明日・明後日はお休みとのことで*1、慌てて「やること」をやっておきました...といっても、家計簿記帳と注文と書類作成、なんだけどね。書類作成は、まだ途中、別の人からの返答待ちですわ。

やっと頭がクールダウンしました。復活が早いなぁ、と自分でも。くよくよしない。たかが、とはいわないでね。

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先週も、いろいろな母たちと話す機会があり...それは幼稚園・小学校、そして趣味の集まりで、それぞれ立場や取り組むことは違うんだけど、たとえば、何かの係や仕事を受け持ち、何かを行えるよう取り組んでいる最中、という点では共通していた。そこで、同じことに対しても、いろいろな見方があり、その向こうには、それぞれの心もちの違いがやっぱりあって...。

それは、立場の責任の重さ、経験の違い、もともとの性格...そういったことがあるんだろうけど、ものの見方・捉えかたを(できるだけ)前向きに思っているかどうか、ということで、その人にかかる負担ってものがぜんぜん違うんだなぁと、その違いを目の当たりに感じた週だった。

悲観的?な見方をする人は、どういうことに対してもその影みたいなものを発言の端々に感じる。あまりにも「なんとかなるさ!」っていうのも、周囲には迷惑をかけてしまうとは思うけれど、でも、「どうせ」やるのなら、楽しくやりたいと思うし、できることならそういうふうに相手にも思ってほしい、というのが本音かな(あまりそれを前面に出されてもうざったいけどさ)。

何かをやったって、そこにいる人全員が「よくやった、ありがとう!」とはならない。きっと、何人かの人は文句や不満があって、もしかしたら、それはその係や担当の人のせいにしたりしてさ、で、残りのうち、なんとなく過ぎて、よくても、なんとなく楽しい(でもそれは「係」の人のおかげ、とは思わない)という人たちがいて、そして、ごく少数の人が「ありがとう」って感じかなぁ、と思う。その「感謝してくれる、ごく少数の人」っていうのは、きっと何かしらの係を引き受けたことがある経験者、だったりしてね。

でも、それは仕方ないと思う。わたしもそう感じる人のことは責められない。正直に言えば、こういう行事そのものを面倒がっていたときには「とりあえず顔は出せたな」くらいにしか思ってなかった時期のほうが長かったのだから、絶対に偉そうなことはいえない。

そうだったからこそ?、誰もが悪意や悪気があるわけでもなく、どんな人がやっても&具体的なことは違っても、その割合は、基本的にさほど変わらないと思う。それこそ、誰がやろうと何をやろうと文句をいう人は文句をいうはず(そういう見方しかできない人だから、ね)。だからといって「やっつけ仕事」でいいとか、適当に・可もなく不可もなく済めばいい、という意味ではなく、そこには、(自分としては)真剣に、とか、(自分としては)誠意をこめて取り組む、ということは大事だと思うけど、それはあくまで自分の心がけのことだから、人の反応はひとまずあっちにおいておく、っていうか...。

そう思わないと、だんだんと感覚がすれていっちゃうように、最近、いろいろ取り組んできた中でますます感じること。勿論、これはわたしのやりかただから、それを人に押し付けてはいけないけれど、同じことを行うにも、気持ちひとつで、自分にとってぜんぜん違うものになるんだなぁと強く思う...ほんと、人のためではなく、(自己犠牲とかでもなく)自分のためにやっている、と素直に思えることは大事だし、そういう意識がなければ、やっていてもつまらないのではないかなぁ、と思うんだけどな。

過ぎてみないとわからないことも多いだろうし、へんに口出ししても伝わらないかな...とも思うけれど、「つらい」「大変だ」ばかりで取り組むのではなく、せっかくなのだから、もう少し楽しんでみても...それに何より気にするほど、周囲の人たちはいろいろな意味で気にしてはいないよ、ってことを、そのがんばっている人(たち)に伝えたいだけど...かくいうわたしのほうが、空まわりというか、何かすっぽり抜けていたりして...だから、伝わらないのかもね(うー!)。

*1:かなり久しぶりの休日...まる2週間休みなしだったんだっけ?だいたい徹夜も続いていたしね。