6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

優しさばかりではすまないんでしょうけども。

先日もらったPTAの広報誌に会長が「子どもの自立のために4歳から皿洗い、入学後は洗濯ものをたたむことや風呂掃除もやっている」とあり、「自分のことは自分でやる」のが当然であり、自分でやらなければ他の誰かがやることを知れば、他人の痛みを知ることができる、って書いてありました...すげぇな...ウチなんて長女も長男も自立には程遠いや。

別のところで忘れ物を届けるかどうかって話で「届けないほうが子ども自身のためだ」っていう意見も聞いたんだけど、気づいて、かつ、なんとか届けられるにもかかわらず、あえて「届けない」「困ったほうが今度から気をつけるから」...というのはちょっと気の毒だよな、と。

先の会長のお子さんもたとえば「お皿、洗ってみたい!」というキッカケで自ら望んで継続して仕事になった、という一文があればよかったんだけど、固い文章のまま「親の役割とは」みたいなものがあって、最後に「他人の痛みを知る」なんてまとめているから、ウチとは違って立派だけど、ウチは違ってまぁいっかー、みたいな感じなんだと思う。

困ったとか大変だったとかを経験するからこそ、他人の痛みがわかるのかなぁ?なんてね。いいたいことはわかるけど、できることなら、家族や他人(友達や周囲の人たち)に優しくしてもらったからこそ他人に優しくしてほしい、というほうを願う。ヘリクツみたいだけどね。

どうせ(?)なら、親が自分を思っていろいろやってくれるからこそ、親のことを思いやって手伝う、というようになってほしい。身の回りのことがまったくできないとか、まったく何もしない、というのも親としてはダメなのかもしれないけど、そこらへんの「できない」という基準もそれぞれだろうし、なによりお皿なんて食洗機が洗ってくれますからー、というのは冗談です、ハイ。

今日は予報よりも数時間早めに雨が降ってきて、子どもたちの下駄箱に傘を置いてきました。校門の前で、長男と仲良しのお子さんのママ(ものすごーく優しくて素敵なママ)と会って、一緒に帰ってきました。昇降口にも数人お母さんが待っていて、なんだかほっとしました。

事情や都合もあるから必ずしもできないこと(とき)もあるし、大きくなってくればなかなかできないこともあるだろうけど、でもせめて小学校のときくらい、ちょっとくらいいっかなぁー、なんてね、そんなこといったらろくでもない子どもに育つ、のかな。

そんなことを思ったきっかけは、最近、学校選びで連絡した先の学校数校で、ちょっとしたやりとりが「優しい」ことに感激してしまったから。詳しくどうこうと書けないけれど(ははは)、決して事務的な対応にとどまらず、こちらの話に耳を傾けてさらに...みたいな。そういえば、子どもたちの幼稚園もすごく「優しい」園だったけど、それに通じるものがあって...園長先生の話も思いだしたわけで...。

世の中はきびしいものだから厳しさを知らないと...というのもあるかもしれないけど、まずは優しいほうを望みたい。

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あ、傘、長男は傘をささずに帰ってきたのか見間違うくらいびちゃびちゃで帰ってきたけどね。でも、「おかーさん、ありがと!」って言われたらうれしかった...それでオッケー。