6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

いろいろ考えつつ、ちょっと重たい気持ち

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長女、今日はクリスマス礼拝のみで、明日から冬休み、あと3日ほど部活はあるようだけれど。おかげで今朝はおべんとうなしでゆっくりできた。洗濯して普段よりも丁寧に掃除してちょこちょこやっていて9時半に朝家事おしまい。もっとやることはあるんだけど、そこはまぁまぁまぁ。やれたことだけ認めておこう。

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権利と義務と自由について、というと、大上段に構えてなんだろう、と思うけれど、なんだか最近、こうしたことについて考えてしまう。いろいろな事柄について、すべてが「賢い消費者」としてふるまうのがスマートで、そうでない物事について、もしくはそうでない行為や考え方についてを深く考えることなく排除したり後回しにしているうちに、すっかり忘れてしまった、というような気がする。

自分が行動を起こそうとしたときに、または行動している中でいろいろなことに直面したときに、とにかくシンプルに自分が大事に思っていることはなんだろう、と考える。そしてまた物事を進めてく。だけど、その過程においてハタからみたら無駄なこと、非効率なこと、お金にならないことについて、あえて避けようとせず、むしろそういう中にこそあるものについても意識してやってきたのだけれど。

そこの取り組み方や表現の仕方にその人らしさや価値観が出るんだと思う。他の人のそれも尊重するし、自分のためにも耳を傾けて理解したいとも思うし、好き嫌いや認めるかどうかはさておき、理解しようと心がけている。自分の中でこっそり公平さや公正さも(自分の価値観として)大事にしているわけだし。

人が人のためにすること、もっというとこれから後に続く人(それは家族や知人だけにとどまらず)「関係ない」「知らない」とされる、漠然とした人の集まりに対して考えるときに、あまりに消費者マインドでだけ考えている人が多すぎる。だれしも「損」はしたくないのもわかる(自分だってそう)けど、とはいえ、学校やその他の公共の場面で「みんなのため」っていうのがなくなってしまっているのはもちろん、ひとりひとりの行動に「自分さえよければ」「自分のところだけ損しなければ」って感じで動いている人が多すぎる。(特に、小学校のことで日々感じることだったりするんだけども。)

政治のこともそうだけど(これまた大きく出たな)、経済最優先すぎて怖すぎる。生活があっての、経済的な安定があっての、は確かだけれども、確かだからこそ、理想や理念があってほしいと思うんだけど、そんな余裕はないんだろうかな。この先、どうなるんだろうかな、という不安がよぎる。

大事にしてほしいことや価値観など、子どもたちに強制ではなく伝えていきたいとは思う。古い、甘い、現実離れと思われるかもしれないけれど、それでも。押しつけはよくないけど「そういうのもあるんだ」ってことはわかってほしい。そういうのもあるんだと思った中から「自分らしさ」を見つけていく、というのが大事かと。

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時間がモッタイナイと思いながら、ちょっとした時間や友だちとのやりとりでスマホのゲームをやってしまっている。あと1回、あと~までなんて思ってもついつい続けてしまうあたり、ほんとうにうまくできていて、まんまと...とも思う。自分が弱い・甘いというのももちろんあるんだけれど。もっと違うことをしたほうが、なんだけどもね。この部分には関しては「賢い消費者」のマインドで自分を律したほうがよいんでしょうけど、ごにょごにょ。