6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

台風前の雨の日曜日

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今日は朝から雨の日曜日。午前中、早めに家を出て長女とふたり、買い物へ。家庭科でバッグを作るということで布や糸などの材料を買う。文房具や雑貨を見て、お昼を食べて帰宅。効率よく回れた。

長女とふたりでいると、よく学校や友だちのことを話してくれて、なんとなく長女自身の考え方に触れることがある。で、よしあしではなくて、感じたこととして話をする。「~しなさい」とかそういうことではなく、命令や評価、指示抜きで、こういう考え方もあると話すことが多い。いくつもの考えがあるんだ、ふーんというくらいに思ってくれていればいいや、という感じ。

同時にわたしがやっていることについても、だからなんだというわけでもなく話してみる。こんな人がいたよ、こうやってみたらこうだったよ、というような。お互いに相手の領域のこととして聞く、というスタンス。

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ひたすら読み聞かせの、普段の活動ではない行事のことばかりに注力。今月下旬の「公開読み聞かせ講習会」も、打ち合わせや手配、連絡なども済んで、ほぼすべての用意が整い、あとは細かな連絡、予約本の搬入とレジュメの印刷くらい。形になってきた!来月のおはなし会もお当番が決まってきたり、ずいぶんと見えてきたような。

先日の幼稚園でのブックトークで知った本を予約して借りてきて、一気に読んだ。 
ことばの贈りもの (レクチャーブックス◆松岡享子の本 2)

ことばの贈りもの (レクチャーブックス◆松岡享子の本 2)

 

本を読むことの大事さの手前に、目を合わせて言葉を語りかけることの大事さについてぐーっと考えさせられた。子どもたちがアカンボのころよりたくさん話しかけたり、絶対に、とまではいわないまでもできるだけ話に耳を傾けるようにもした。でもなぁ、もっともっと「ことばをたいせつにする」ということができたんだよな、と。
ただよいとされる本をたくさん読み聞かせすればよいっていうものではなくって、もっとひとつひとつのことばの力や重みを大事にする、ってことを考えさせられた。

ほんとうに目(や耳)の前を通り過ぎていくことばが氾濫していて、その中に埋没していっていることばもたくさんあって、気づかないまま過ごしているわけで。そしてわたしの頭の中の物語があまりにも貧弱で、創造力の幅がなさすぎるな、と。
いろいろな物語を通じて得られた枠組みやことば、そして世界観というものがあまりにもなさすぎ。子どもたちがもっと小さいころにちょっとでも多くのものを伝えておけばよかったと猛烈に後悔している。

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ちょっとこじつけっぽいけれど、そういう体験を与えられなかった分、せめていろいろと互いの話ができればいいなぁと思った。