6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

ちょびっと平日モード

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お盆休みあけ、長男の夏期講習も始まり、すっかり平日の夏休みに戻りました。わたしは仕事がたてこんできて、あれもこれもと長いリストができており...どきどき。オットは週半ばからの海外出張に備えて仕事も忙しい上に準備もあれこれあって落ち着かないみたい。長女も宿題が割と残っていて大変そう。

こんな感じでばらばらの案件を抱え、というわが家。なんかおいしいものが食べたいだとか、ちょっとのんびりしたいだとか、ゆっくりだらっと本が読みたいとかはちょっと脇に置いておく。

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夏期講習の不在時に電話をもらって、お昼を食べて電話をかけなおしてすぐそのまま遊びに出かけた長男。さっきは直接また別の友だちがピンポーン!と来ていた。男の子たちも遊ぶのを待っていた様子。忙しい。

 学年が上がるにつれて如実に友だち構成が変わっていって、受験しない人たちのみの友だち関係になっていく。そりゃあそうだ、この時期、6年にもなればどんだけ塾にいると思っているんだ、みたいなことを自らつっこむ。「朝9時から夜7時くらいまでずっと塾にいる」と長女がまだ受験すると決めてなかった夏に聞いて驚いたのだけれど、結局はそんな感じで、ぼちぼち過去問を始めるころだったなぁと。

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あたりまえだけど、ふと「あんまりいらなくなっちゃったなぁ」と思ってしまった。まだごはんやら洗濯やらはいないと困るだろうけど、かといっていなくてもどうにか自分でできるはず、って思うと、「以前よりかは必要ではなくなった」という実感がずしっと来た、というか。生活全般一通り、なんでもできるようになってくれないと困りますけど、なんだかね。

思えば、ずーっと居場所がなかったんだよな、と思い出した。結婚して子どもができて、ひとまず「いないと困る!」という役割を得て初めて安心したり、そういう感覚を忘れることができていたんだけど、なんとなく最近しばしば昔のような、その感覚を思い出してしまって、ちょっとさみしくなっちゃうことがある。

「そんなことないよ」とは自分でも自分に言い聞かせてみるんだけど、そういう「感覚」だから、ぱっと感じてしまったこと(感じてしまいがちなこと)を説得したところでどうしようもない。「必要とされる」ってどういうことなのか、ぜんぜんわかっていない。

ほんとなら子どものことをヤキモキ考えているんだろうけど、どうも自分のことにかまけてしまう。長男の勉強のこともすごく気がかりだけど、ちょっとどこかで「勉強だけではない(はずだ)」ってブレーキがかかっていて、あまりしつこく言えないのもあるし、長女にいたってはあれこれ言ってももうどこか「長女の人生」っていうのがはっきりしていて悩むほどではないし(さりとて姑さんみたいに「もう勉強しないでいいよ」とは言い切れないけども)。オットもいつの間にかいろいろなことをひとりでやっているし、ほんと、自分をもて余している。