6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

割と近い星の人、なのかも。

f:id:rainy63garden:20140717235430j:plain
わたしは自分のことが大嫌いだった。長女が生まれて顔を見た瞬間、オットにあまりにも似ていて思わず笑ってしまったのだけれど(まさに「オットを生んだのかと思った」くらいの)、でも同時に自分に似ていないことにほっとした。細かく言うと、容姿がどうの、というのではなく、自分という存在そのものが嫌いだった、という感じ、かなぁ。

いくつか学んできた中で、少しずつ自分を受け入れてこれるようになったのは、やっぱり子どもたちの存在が大きい。「あー、これでよかったんだ」と無条件に受け入れるというか、さほど自分ではこまごまうらみがましく思っていたつもりもないものの、それでもやっとこさ、何が違っていても、今の自分にたどりつけないんだ、ということが実感できたことは大きい。

客観的には、所詮、その程度のことだったのかもしれないし、やっぱりそれは本質的なことだから、ということのなのかもしれない。わたしにはまだわからない。

ただ、今の自分で(結果として)よかったとは手ばなしに思えるけれど、まだ「自分が好き」と言えるかはビミョウ。いやなところも足りないところも欠けているところも「自分で自分を許す」ことはずいぶんできたけれど、やっぱりまだ頭で考えているところが大きくて、感情面でどう思っているのかはよくわかっていない。

たまたまあるところで知り合った人と、まさに意気投合?!という感じでこの1か月くらいのうちに2回ランチをはさんで長時間話す機会があった。その人、頭の回転が速くて、会話のテンポもちょうどいいから、結構、お互いに「ぶっちゃけ」て話していたり、理解や分析も大変面白くって。

なんだか似ているところがあるなぁと思って話していたんだけど、その人は「自分のことが大好きだ」って言いきれていて、なんだかまたすごいなぁと思った。細かいことは書かない(書けない)けれど、なんとなく「表と裏」みたいな気もした。ある種、共通する部分が結構あるんだけど、根本的に違うなぁというところがあって、だからまた話したい!と思ったんだと思う。

世間話や無難な会話、母親としての立場の物言いを越えて話せる機会って、どうしても少ないし、そういうお友だちが(新たに)できることの楽しさ、みたいなものもあった。相手の人もそれなりに感じていてくれればよいのだけれど、それはまぁご縁次第、ということにしておく。

この数日、別件で(子どもがらみのことで)初めて連絡を取った人がいて、何通かやりとりしたんだけど、絵文字のない(ちょこっと顔文字程度)なんだけど、すっかり「天然」というか、なんだか「んんん??」と思う雰囲気のメールで、ちょっと戸惑っている。お互いに、だけど、まだメールだけなので誤解は避けたい...んだけど、ちょっと「んんん?」は否めず。ダイジョウブなのかな、と気がかり。
 
@ @ @
 
いろんな人がいて、それぞれはそれぞれが見たいように(無意識でも)思っている世界で成り立っている、とかねてより思っているけれど、そのさっき書いた人の表現を借りれば、より端的に言うなら「それぞれの星からやってきた宇宙人同士」と思って、それでも折り合いをつけながら交流していく、って、言い得てるなと思った。いくつか参考になったり感心したこともあったけど、その表現をいただこうと思う。