6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

母の日のうしろめたさ

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ネットでも出かけた先のお店でも「母の日」に向けての、が始まっている。以前は「母の日」自体がわたしにとっては「ものめずらしい」ことだったので、オットの母に送っていたのだけれど、遠慮もあったのだろうけど、やんわりと断られてしまって、なんとなくこのところは帰省したときの手土産程度で済ませていたりする。

自分が逆の立場になって...特に子どもたちが言ってくれるようになると、これはまたこれで気恥ずかしい。うれしい、というのはもちろんなんだけれど、自分のイタラナサというものがむしろ強く感じられて申しわけない気持ちでいっぱいになる。街中でそういう文字を見たり、赤やピンクのカーネーションの花やイラストを見ると、ちょっとうつむきかげんで通り過ぎたくなるような、そんな感じ。

照れて、というのではなく、うしろめたさ、みたいな。

どのくらいがんばれば自分で「もらってもよい」母だと思えるようになるのかな、と思うけれど、ほんとうに想像できない。今でも十分に頑張っているよ、と、そこそこ本気で言ってくれる人もきっといるんだと思うけれど、そうじゃなくって、何をどうやっていても、なんだか自分のエゴであるような気がして。それが証拠に自分が「これくらいでいっかー」と手抜きしているところはおもいっきり手抜きしていたりして。役目をはたしていない、というか。

きっとわたしも子どもの立場だったら自分(という、子ども)に愛情を与えてくれるだけで十分で、おかあさんは大切!って思うんだろうなとも思うけれど、あくまで想像でしかなく確信が持てない。わたしの中の理想の母親像なんて、はるかはるか先だし(まさに幻想だろうけど)。

おかあさんって、どういうものなんだろうな...ふと思う。