6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

まだ「おしまい」ではなく...

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春期講習に出かける長男といっしょに出かけて買い物。いったん帰宅して荷物を降ろし、「いいとも!」のたけし(さん)の部分を見て、長男を迎えに行き、ランチを食べた。鉄板で出されるハンバーグのお店だったんだけれど、お隣りにいた中学生くらいの男の子がひどくやけどをしたらしく、その母親がお店の人に言って氷をもらって冷やしていた。鉄板で...?手の甲というか、親指の下らへんだったらしい。

自宅周辺の桜、日当たりのよりところはすっかり満開。そんな一気に盛りに向かうんだっけ?と思うくらい。夜のニュースで、横浜は今日満開となったと聞く。あっという間に背を押されて、4月。

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とうとう今日で3月も終わり...というより、今年に限っては増税のことばかり耳にする。自分も意識しまいと思いながらやっぱり気にしているわけで、土曜でおしまいと思っていた買い物も今日も割とした...すごく混んでいたらやめようと思っていたのだけれど、意外と普段と変わらず、というのはイイワケかな。あまり混んでいないところを見ると、周囲の人たちはスマートに済ませているんだろう。ちなみに、今日立ち寄ったスーパーにはトイレットペーパーはあったものの、普段いちばんたくさん並んでいるものは底値より100円高くてビックリした。

見えないところのものはともかく、もうユニク●は買うまい!と思っていたけれど、今日はついでにふらふらっと(見えるものを)買ってしまった。子どもたちの普段ばきの靴下や下着などもついでに。いやはや、おそるべし...。すっかりこれでオッケー、と思っていたけれど、帰宅後、クリーニングに出すことをすっかり忘れていたことに気づく(やれやれ)。

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数年くらい前から桜を見ると「あと何回見れるんだろうかな」と思うようになった。若いときなんて次を思うどころか前にあっても上を見ることすら少なかったのに。昔住んでいた自宅のそばにも何本か桜があってずっと見慣れているつもりでいたのかもしれないけれど、「自分」のことしか考えられなかったんだと思う。もう少し年齢をとるにしても、だんだんと死ぬときのことがよぎるからかもしれない。もちろん誰だって来年見ることができると約束されているわけではないけれど。

プランターのチューリップもつぼみが見えてきた。一昨年、チューリップの球根を植えたときには「これが咲くころにはどうなっているのか」と怖くなっていたけれど、今年の球根は「そのこと」を思い出して(昨秋)植えた。一昨年植えたチューリップは特別のように思っていたけれど、ほんとうはいつも「特別」なんだと思う。

たまたまオットが子どもたちの小さいころのビデオを保存のために編集していて、6~7年前の姿をひさびさに見た。すっかり大きくなった長女がまだ小さくて、なんだか不思議だった。「確かにそういう時期があった」んだけど...不思議。

自分にとっては「たった6~7年」なのに。ほんとうはいつも「特別」。