6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

クリスマス!クリスマス!

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昨日は長女の学校でのアドベントの会に出かけてきた。聖歌隊やハンドベル、聖書の朗読などを交えて生徒による礼拝。壇上にいつもお花が置いてあるところに大きなリースがあり、四隅にキャンドル、そのうち1本に灯りがともっていた。アドベント・クランツ、というそうだ。第1週なので1本だけだけれど、冬休みの前日のクリスマス礼拝時に4本すべてに火がともる、んだそうだ。

これまでほんとうに「神さま」から遠い位置で生きていたわたしだけれど、こうして触れる機会が増えて、なんともいえない気持ちになる。教養として知っておきたいと頭では思っていたけれど、いざ学校や教会で礼拝に出ると、ほんとうに自然と涙を浮かべる自分がいる。これまで奢っていた自分が反省しているのかもしれないし、何か心の中の、自分も知らないやわらかな部分を触れられるからかもしれない。

歌も演奏もとてもすてきで、もともと生徒さんたちが一所懸命に取り組む姿、というのが親として感動してしまうのだけれど、おごそかな場で目にするのは普段以上に感動してしまった(委員会で知っている方のお嬢さんがいらして、身近に感じたこともあったかと思うけれど)。

今年は数年に一度のクリスマス礼拝が外部の会場を借りて行われるので、保護者の見学もできるとのこと。会場の都合で人数に限りが、ということだったけれど、ひとまず申し込んだ保護者は出席できるそうで、わたしも出かける予定(やった!)。大きめのタオルを持っていかないと...きっと泣いちゃうだろうから。

単純に年齢のせいだ、といえばそれまでだけど、学生のときって本当に泣けなかった。ここで泣けたらよいのに、と思う場面があって、素直に泣いている人を見て本当にうらやましかった。醒めていたつもりはなかったんだけど、その涙を流すキッカケがわたしの心に届かず、その場にいても何も響かない、というか。
たぶんいろいろな感情が欠如していたり、ふたをして閉じ込めていたけれど、子どもを育てる過程で少しずつ追体験できたことが大きいんだろうと思う。

追体験といえば、長女の学校に出かけるたびに「こういう世界があったんだな」と思うことが多い。校風に則った先生方のこまやかな気遣いももちろんだけど、女子校ならではのこともしかり、勉強のレベルや進度もそうだけど、そして最たるものはそういう宗教的な背景、管弦楽、合唱、ハンドベルなど音楽面の豊かさに触れると強く感じる。お子さんも勉強や習い事にこれまでがんばってきたんだろうけど、教育熱心である以上の恵まれた環境でいるお嬢さんたちがたくさんいて。おまけに校風が自由なので、見るからに個性が出ていて、イキイキしているし、周りのお友だちの普段の言動なども長女から聞くけれど、変わっている人もたくさんいて、面白い。

はたして長女がずっとこういう環境に身を置けるのかもわからないし、世の中のそうではない世界が大半だと思うんだけど...。自分が過ごしてきた学生生活とはさまざまな意味でまったく違うし(正直、わたしからすれば、恵まれ過ぎていると思う)、単に長男と比べても、同じ家に生まれても違うんだなぁと思う。長男は長男で違うシアワセもあるんだろうし、そういう恵まれた環境だけで育つのも経験値を積む、という意味では足りないんじゃないかと思っているけれど、どうなんだろう。どちらがいいとかでもないし、うらやましいというのとも違う。ただ自分のいる側だけしか知らない、というのは文字通り「世間知らず」なんだろうな、と思ったわけで、はい。