6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

しつこく。

昨日の余韻というわけではないですが、母としてはあれやこれやと心配するのは確かだけれど、本当に「人との競争」のためにがんばるのは「違う」ってことは自分の中でしっかりと意識しておこう。一所懸命に取り組むのも自分のためであって、つらいのを頑張るのも日々「自分のとのたたかい」。長女の受験のとき、長女にもそういってきたし、わたしも本当にそう思っていたからよそのお子さんと比べてどうこう、っていうのではなかった。入試当日においては、やっぱり「同じ受験者の同じレベルの人」と争って、となるわけだけど、それすら普段の自分通りの力を出すっていうのも「自分とのたたかい」と思うし。

勉強を「自分とのたたかい」というのも抵抗あって、理想は「たのしみ」であってほしいんだけども、そこまでは理想すぎるか。それに気づこうが気づかまいがやらないといけないし。さすがにどうするかは本人の選択、とまでは達観できず。

それにしても、みんなよその子の成績をよく知っているなぁ、と驚く。子どもが言ってくる、というのもあるんだろうけど、友だち同士で「どうだった?」と直接なり遠回しなり聞いていたし。頭がいい子がいると聞けば、どのくらいなんだろう?と思わないでもないけど、「へー」ってレベルなんだけど。あんまり覚えておこうと思わない、というか。おまけに、共通で知っている女の子のことにいたっては、点数稼ぎでいろいろな係や役に積極的にかかわる、という話も聞いたし。

点数稼ぎできるくらいしっかり意識してくれたら親は安心なところもあるのかもしれないけど、同時に(少し離れてみれば)そんなことを同級生の母に言われてしまうような中学校生活ってどうなんだろうな、と思ったりもする。そもそもその子自身がほんとうに点数稼ぎっていう意識があって積極的なのかもわからないといえばそうだしな。

この前の「人と比べているうちは自分の中で優越感と劣等感の間で揺れ動く」ということを思い出すと、こうしてわざわざ「人との戦いではなく自分のたたかい」だとか、人のことをどうこう思っている時点で、すっかりその価値観にのみこまれているじゃん、というのもあるな。

でも、そうそう、すっきりとできないのが「子どものこと」なんだよ、とも。