6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

つい、泣いてしまう

昨日借りた本はこちら(↓)。

すごい弁当力!―子どもが変わる、家族が変わる、社会が変わる
佐藤 剛史
五月書房
売り上げランキング: 8137


大学生を中心にいろいろな人のお弁当にまつわるエピソードを読むにつけ、本当に泣けてしまった。もちろん、自分の育ちもあわせてしまってさー。わたし自身は中学のときはお弁当だったけれど、高校入って間もなく育ての母であるところの祖母がガンだとわかり、それから入退院を繰り返したころから、学校でパンを買って食べていた。作ってもらうのは負担だろうから、というのが表向きの理由で、そのほうがお金も貰えるし、みたいな感じで、気が楽だったから。


子どもたちにできることはなんだろう、と思うけど、本当にごはんを作ることくらいなのかもしれないし、そこがいちばんなんだろうな、とも。ウチの子どもたちはオカン(わたし)よりもよっぽど大人なので(そういう役割をさせて申し訳ないと思いつつ)、ちょっと焼いただけというものであっても「おかあさんのごはんはおいしい」と今でも言ってくれる。ほんと、もうちょっとがんばらないといけないよなぁ、と思う。


ほんと、最近、自分が小学生のころからハタチ過ぎるくらいまで、感情にフタをしていたことに気づく。当時、なんでもないように思っていたことがなんでもなかったのではなく、そういう箇所にさしかかると、ただ目をつぶって歩いていたような...。先週のドラマ(Mother)の中で「カーネーションがいちばん嫌いな花だった」というセリフがあったけれど、わたしも花が嫌い、というより、「おかあさんありがとう」という文字とカーネーションの組み合わせがすごく苦手だった。避けて通りたい気持ちだったことを思い出した。それってさ...そのとき自分の気持ちにフタをしていなかったら、同じように「いちばん嫌いな花」として思ったのかなぁと...象徴であって、なんだろうけどね。


お弁当の話を読んでも、悲しいエピソードでもないし、かといって中学のころは用意してもらっていたのに、感謝するだとか、そういう思いも希薄だったりする。今さらながら思い出すのも、いささかさみしかったり悲しかったり、ちょっとだけつらいものもなきにしもあらず、なんだけどさ。