6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

転落のきっかけ

この数日、テレビでは...という感じだけれど、自分も予定がないことをイイワケにテレビを観ながらパソコンもあれこれ読んじゃいました。それから後に、長女の習い事に出かけて、そこで母ともだちとあれこれたわいもない(ははは)話をしたり...なんだか、わたし自身の「現実」がとっても不思議なものに感じてしまいました。オオゲサにいえば、どっちがリアルに感じるか、っていうかさ。

たまたま「有名な(しかも「清純派」というイメージも一応ある)人(プラスいろいろな背景やらこれまでの人生やら)」だったからこそ、ここまでいろいろな人たちの興味を引いて、視聴率なり話題なりになっているんだと思うし、そのことは大きな違いではあるけれど、でも、そういうデッカイ前提を抜きにして、感覚としては、本当にあやういものなんかなぁというのがちらりとよぎったわけで。

何が不満だとか、子どもがいるから、大事なものがあるからとかさ、どうのこうのじゃないんだろうな、っていうかさ。

そのあやうさみたいなものが落とし穴のようにあちこちにあるんだろうな、っていうことを、あ、そういえば、ってな感じで思い出したような、そんな感じがした。

とどのつまり、現実は自分の想念の集まり、みたいなことなんだろうけど、だからこそ、日々流されることの怖さ、を自戒しないといけないなぁと教訓を得たりして。あとから振り返れば、そこがターニングポイント、っていうのはあるけどさ、その時点ではなかなか意識できるものではないしなぁ、とか。

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一個の人だから、ということだけでなく、本当にみんなが、子どもたちだって、どう現実が見えているんだか、っていうかね。そりゃぁ、思う通りにはならないよ、なんてね。ましてや、自分がよく見えてないオカンの言うことなんか、なんてね。ふー。