6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

「女性の愛情曲線」をじっとながめてみた

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ウチの子どもたちは中3・中1、長女は15歳にもなって...15年かぁ(ちょっとだけしみじみ)してしまったのだけれど、以下の文章を拝読して、
その1:時代は変わったなぁ感(いや、大多数が、ではないんでしょうが。)
その2:(グラフの数値の変化に)ひたすら「そうだよなぁ、そうなんだぁ」ということを感じてしまった。

matsuura.hateblo.jp

ちょうど15年前のころ、オットは忙しさを極め、土日出勤はおろか週に1、2度は徹夜して、帰って2~3時間寝てまた会社...割と近かったので通勤時間が短かったものの、残業時間も月200時間とかだった。わたしのほうは、結婚してまもなく(体調不良を原因に)妊娠直前に退職していたこともあって「家のこと、育児もぜんぶ自分でしなければいけない」と気負っていたころを思い出した(今はまったく逆に突き進みすぎだけど)。

からだが頑丈だったので多少の無理もできた、ということが大きいけれど、帰れる里もなく、ひとりで長女とふたり、徹夜明けで帰宅したオットに遠慮して別室で寝ていたりもしたけれど(オットがアカンボの泣き声くらいでは起きないくらいにつかれていて眠れるってことにすぐに気づいて大丈夫だった)、ほんと育てやすいアカンボよかった、何度も何度も長女に感謝したものだ(2年後に生まれた長男にも)。

まーーったくライフスタイルも違って「別世界」のことではありますが、単純化に単純化を重ねて、こういう時期を過ごしたら...どうなんだろうなぁとまったくもって想像できない。ウチは「オットは仕事で大変だ(とうてい自分にはできない)」って今でも思えるからこそ、「あのとき手伝ってくれなかった」みたいな思いはないんだけども。でもあれほど忙しくなくって、それなりの時間に帰ってきて、わたしがばたばたしている横でテレビ見たりゲームしていたら...以下、略。

「どっちが大変だ」のアピール競争していたら結婚生活は破たんする、と思っていたので(いや、ほんとうは今でもそうだけど、今は「完全に」わたしが楽をしている)、そこも「オットは仕事で大変だ」というのがなかったら(今でも)相手を思いやることはなく、なんだか責めたくなるところもあったんだろうなぁとも。

その1が長くなったけれど、あとは単純に「子どもへの愛情曲線」の減り具合。なにをもって「下がっている」のか客観的な意味合いではわからないんだけど、アカンボや小さいころの「あのころはかわいかった[のに]」というのはあっても(だから「そうだよねぇ」)、それでも今は今の子どもへの思い(愛情)があるなぁ...。高校入学は未知の世界だけど、下がる感じが「そうなんだぁ」というか...いいたいことはわかるけども、はい。でも、まぁ、小さいときから子どもといっしょにすごす時間が長くて、夫婦の間でも分担していることを間近に感じながら育てたオットと、育った子どもだと、思春期のときの会話も意外とスムースかもしれないなぁと思う(顔を見ると、なんだか不器用な一言を子どもに発して空気が悪くなる、みたいなことはなさそう)。