6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

残念だけど、そういう場だったようだ。

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あるボランティアの募集をしめきりを過ぎて、おたよりを出すべく長男の学校に出かけた。申込みを見たら昨年の倍近い数があって、おまけにそのボランティアの仕事自体も2/3くらい作業量が減っていた。見てみたら、一昨年も「おことわり」していることもあったので、話し合って今回はこの人たちの分を申し訳ないけど断ろう、ということになったんだけど...本部の方よりストップがかかった。

そういうことをしたら、次回からはこのボラに申し込めばやらなくて済むこともあるってなってしまうから...とのこと。いいたいことはわかる。でも、それはボランティアではなく「お当番」ではないのか。そっか、確かに「ボランティア」という名称は使っていないか...でもこれってボランティア、って思う、わたしは。

そもそも「必ず2か所に丸をつける」とか、回数の強制がやんわりとあって、それは委員をくじで引き受けてくれた人からすると、あまりにも不公平だから、という発想。だから、申し込んだけれどなくなったというのは、申し込んだ人の気持ちを無駄にするというよりかは、当初の予定どおりやることになった人からすれば不公平になるから困る、ってことらしい。

初回の活動日から逆算して、おたよりも出さなくてはいけないし、そのおたよりは本部の人から副校長、校長のチェックを受けなければならなくて、xx日には委員会があってそのときには印刷して、封筒のあて名書きもあるんだし...というのだと、もはやぎりぎり。そのことは今月初めに伝えていたんだけども。

よくあるのは、思いもかけない方向からのあれこれが発生して(降ってわいてきて)、それの対応に追われて摩耗する、ということ...いや、それも込みでしょ、っていうとそうだったのだけれど、ま・さ・か、こっちの方向からくるとは!!!

何もいいませんけども。言われたとおりにしますとも。

もともと本部はできないなと不遜ながらも思っていたけれど、もしほんとうにこういう感覚...委員以外の保護者の人たちが「こんなことやりたくない」としか思っていないという感覚でやっているのなら、わたしにははたらけないなぁと思った。

なんだか表と裏が明らかにあるっていうのが見えちゃうのは残念。理想と現実、本音と建前って言葉があるけれど、まずは理想なり建前なりを前面に出して、本音の本音のところで現実との妥協やら対策やらがあっているのならともかく、建前もなくことを進めることは自分にはできないと思っちゃった。勝手に想像しちゃっただけならよいのだけれど。

とにかく結構がっかりした。初回の集まりで言われたことにもちょっと違和感があったんだけど、そういうスタンスなんだって残念ながら気づいた出来事に遭っちゃって、疲労がどどっと出た次第。