6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

あるお話をうかがっての、つらいふりかえり

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やっとこさの日曜日。連休明けの2日は予定があったこと、昨日土曜は家族の買い物に出かけて半日以上出かけていて、仕事もあれこれ続いていて気ぜわしい日が続いた。今日の日曜もひたすら仕事をして、今、ちょっと休憩中。

先日、またお話をうかがう機会を得られてある作家さんの話を中心に、子どものこと、読み聞かせのことなど、いろいろと知ることができた。最後までいろいろな話に流れていたんだけど、その中で、ある小学校の話...として口にされた話が、子どもたちの小学校のことだった。

読み手側がよいと思ってていねいに選んで読む本に対して、いろいろな子どもがいて、その反応もさまざまで、授業ではないだけに「自由さ」を大切にしたい...という思いがあるんだけれども、隣に座った友だちとちょっと話したり笑ったりするのも「聞く姿勢にふさわしくない」なるし、低学年の子どもに感想を求めるのも避けたい(聞いた直後にぱっと言葉にならない思いや考えだって大事だと思うから)のに数名の子どもに感想を言わせる、というのも「コメントを発表する」ために必要な、どちらも「訓練」なんだそうで、その話を聞きながら、ほんとうにわたしも情けなくなっちゃった。 

先生を残念に思うだけではなくて、そういう態度にさせてしまったのは、保護者の中にいる決して少数ではない人たちがこの数年とった態度によるところもかなり大きい。意識していないんだろうけど、自分の子どもへ熱心になるあまり、いつのまにか、自分の子どもさえよければいい、というようなクレームを言いつけるようになり、先生のほうもいろいろ言われて疲れてしまい、ついつい声が大きくてしょっちゅう言ってくる保護者のいいなりになってしまっているんだろう、というのもよくわかる。基本的に多くの保護者が「自分んちの子どもが損をしたくない」というのが明らかにあって、周りのためには損することもあるし、損すること自体もその子にとっての経験となる、ということがまったくない。きっともっと世代が若くなった今となっては、また違った価値観が多くみられることなんだろうと思う。

一概に昔がよかった、とはいいたくないんだけど、今だからこその問題もたくさんあることと、昔のよかったことがなくなっていくことが気になっている、というか。そして、そういう気持ちがあるんだけれど、それでも自分はその流れを作っている一人なんだと思う罪悪感がなんともいえない。

 

その場の帰り道にぽちっとな。文章のリズムがよくって、設定もお父さんのほらばなしだし、ファンタジーとしてもおもしろい。

お父さんのラッパばなし (福音館文庫 物語)

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