6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

こどもの日に子どものことをふりかえる

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曇天の「こどもの日」。今日は試合応援で朝早くから長女は出かけてしまい、例によってひとり。少しだけ洗濯して自分の冬用の服をしまった。それから仕事。昨日仕上げた資料をコメントいただき修正。
 
今日はすっかり風邪っぽい感じ。咳をすると頭が痛い。からだもなんとなくだるくって寝ていたいけれど、そうもいかず。夕方にはオットと長男も返ってくる...2泊だと意外と早く感じる。

自分の服を開かずの収納のところに片付けることにした。その棚になんだろ?と思ったら、長女が小さいときに作った「こいのぼり」を見つけた。なつかしい...たぶん3歳くらい。裏に「おしゃれなこいのぼり」と書いてあった。
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こんな字を書いていたっけかな?と思う。年少の七夕の短冊に「とべますように」と書いてあったのを憶えているから、これもそのくらいのときだろうな。長女は字を書いていたんだった。長男はまだまだ...年少の終わりに数文字書いていたっけかなぁ、という程度だった。長女は小さいときから何か文字みたいなのを書いていたり、読めるようになったのも早かったのでドリルを与えていた...もちろん「楽しみ」としてだったから付き添って勉強させたわけではないのだけれど、結果として無意識に仕向けていたんだろうなぁと思う。年少のときの先生の面談で長女が「同じ構図の絵ばかりを描く」と言われて、枠にとらわれていることを感じて、長男には「仕向ける」ことはやめたんだった。

「こうだったらいいなぁ」とこっそり思っているつもりだったけれど、長女は敏感に感じ取り、おかあさんの理想の子どもになろうとがんばっていたんだと思う。幼稚園のおかげでだんだんと「自分」に気づけるようになって、あえて言葉にしたり反発しなかったけれど、静かに押し通すようなところがあって、このごろようやく言葉にして気持ちや考えを伝えられるようになってきたように感じる。おかあ(わたし)の圧が強かったんだろうな、とも思うし、それだけ(親がいうのもなんだけど)期待に沿えるだけの力があったんだろう。当時から「いい子にしていようと無理をしているのでは?」と心配していたわたしではあったのだけれど。

3歳で読み書きできる必要があったのかといえば...いらなかったんだろうと思う。読み書きできるとそれだけしっかりした思考ができるようになったのも確かだけど、大事な子どもらしさを損なったのかもしれない。親にそんな意識がなかったとしても、もしかしたら自分でできるようになったのかもしれないけれど...わからないけども。

同じ家にいた長男は、長女に張り合うこともなく、マイペース(それこそ入学前でもときどきわからない字があって「ん?」となっていたはず)、ある意味、それが今まで続いている気もする。もっとも長男には人としてすごいと思うところがたくさんあって、それもまたいいんだけど、なかなかないものねだりなのも確かだし、自分の考えを破れないのも確か。