声に出さない分、こっちに書いちゃう
しゃべるな、というメタファーなのかしらん。余計なことばっかり話していたんだろうか、自分。とにかく横になると咳き込むし、咳が出ることで頭痛が起こる。おまけに「今は咳をがまんしないと!」と思えば思うほど出る。
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グリム童話や民話の再話の本などを読み聞かせしてくださっているグループが(保護者の図書ボラ読み聞かせとは別に)小学校にあるのだけれど、ごくごく一部の先生をのぞいて、校長をはじめ先生たちに大事に思ってもらえなくて残念で仕方ない。
保護者のほうをなくすわけにはいかないから、もう向こうをなくしてしまえば、というのもあからさまに伝わってきていて、がっかり。もちろん、保護者のほうをなくすと言われても困るのだけれど、こんなに経験や勉強を積んで大事に活動してくださっていることを「宝」だと思わない先生たちって、なんというか、まぁ...わたしに言われたくはないだろうが、そういう機会が先生たち自身になかったんだろう。
大事な機会だと思ってもらっていないばかりか、その昔から伝わる「ほんとうの」物語というのは、とても残虐で子どもたちに聞かせるのはよくない!と言われていて、なんだかよくありがちなそれ、ある意味「定番の」話題。だからこそ、現在、本屋さんで並べられている絵本やまとめられている童話の本には、すっかり話が変わってしまっている「昔話」となっているわけだけれど、そういう話ももう一歩つっこんだところの見識がないというのもなんだかなぁ。
確かに、大人となってしまったわたしが「今はじめて」、ほんとうのストーリーの「昔ばなし」を読むと、びっくりすることも少なからずある(「3びきのこぶた」やら「シンデレラ」「白雪姫」などなど)。子どもたちからすると、そういうことではなくって、もっとその奥にある昔話の普遍的な、もっと人間の本質を表現していて、これからも考える糧となるような、そんなところを理解する機会になるんだと思う。
この本は、「文芸学・民俗学・心理学」の3つの立場からの「グリム昔話」を解説していて、いくつかの「残酷なものとして害を及ぼさない」ということについて書かれている。この薄い本1冊すら読まないで、どうして「昔話は残酷なので子どもたちに聞かせないでほしい」となるのか...せめてこういう本を読んでも納得できないから、と言いう先生はいないのかとも思うのだけれど...。
そうそう、残酷だ、というのとは別に「お姫さまがなんの苦労もなく幸せになれるという話もよくない」という意見が先生から出たそうで、それもまたビックリ。因果応報というのも大事だけど、たまにはそういうのも心のどこかにあってもよいのではないか。「もし宝くじが当たったら」って(今の)大人だってするでしょうが。
ものすごく庇うくせに、同時に、虫のいい話は教訓にならないからとなるんだろうか。そんなことを気にしていたら(<いや、気にしていないけど)なんだか頭がおかしくなりそうだ。
まぁ、(ここらへんの)小学校の先生の多くは、3年もすればその学校を離れるから「はー、そうですか」とのらりくらりやっているうちにいなくなっちゃう、といわれて、なるほどー!とも思ったんだけども、直接かかわっていたら、消耗するなぁとも思った次第で。