6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

心の中がわくわくすることで満たされる

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今日は、約2か月ごしの絵本の勉強会の席へ参加できた。2時間ほどあるテキストを使って講師となる方を囲んで話を伺ったのだけれど、ほんとうに贅沢な時間だと思う。「学びたい」と思うところにまさに訴えかけられて刺激を受けているにもかかわらず、すごく癒されているという感じ。この場にいさせてくださってありがとう!という気持ちでいっぱい。

今さら子どもの気持ちのように絵本や児童文学を読むことはできないのかもしれないのだけれど、でもそういう「構えた」ところは、読むにしたがって徐々に減っていくところも感覚として実感している。もちろん「まだまだ」というのはあるんだけど、その気配や予感を感じられるようにはなれた気がする。相変わらず、子どもたちへの申し訳なさがいっぱいだけれど...。

次回は、また別の方をお呼びしての講演会に出ることができそう。また違った話が伺えることをほんとうに楽しみに思う。

刺繍を習うことと、この勉強会に参加することがほんとうに自分の楽しみであり、今年からの大事なことになった。

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別段、わたしも嫌いな作家や嫌いな人たちがいないわけではないし、何よりノーベル文学賞がらみのニュースで、そう呼ばれる人たちを見て「...。」と思うんだけど(あのような感じでつるんで騒ぐのはどうも...)、あえて「嫌いだ」とメールするエネルギーってば、若いんだなぁと思っちゃった。

www.welluneednt.com

若いとき...というか、今の長女くらいのときに、大嫌いな先生に思いきり反抗していたのを見かけた別の先生が「嫌いな人にわざわざ嫌いだということを伝える必要はないんだよ」と言われたことを思い出す。今なら「ふん!」と心の中で思いながらも別段何かを伝える気もないだろうから、それがオトナになったことなのかなぁとも思うし、そもそもそこまで嫌いだと思うことはなくなった。
 
いわんや、小説や物語なんてあくまで個人的なコミットでとどまってよいのではないかと思うのだけれど。もちろん、本の話になって紹介?というか、話題にすることはあっても、どのくらい自分にとって大事なのか、コミットしているのかを語るのもなんだか、と思うし、なんというか、いくら言葉を尽くしたとしても(つたないわたしの言葉なんぞじゃ)伝えられないというのもわかっているから、あえて言わないし、言わないところで大事にしたい。

...とかいって、こうしてブログに書いている時点で、外に向かって言っていることにほかならないけども(ほほほ)。