6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

大きな変化のきざしに不安がる

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窓から見える桜、昨日の強風で見るも無残に散ってしまった(しくしく)。そういうものだけど、もうちょっとゆっくり楽しみたかった(しくしく)。

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長女が5時に起きて宿題する!というので、それにつきあって起きたつもりが長女が起きてきたのは6時過ぎ。だったら6時に起きたらいいじゃないの、と思うんだけど...まぁ、勉強する!ということだからつきあうことにしている。すでに何度も「起きる起きる詐欺」に遭っているけど、まぁまぁまぁ...。今日は部活なのでおべんとう作る。

朝食はそれからずっと後、全粒粉のパンケーキミックスを焼いてみた。想像以上においしかったのと、少量で十分満足できた。やっぱりすごいね、全粒粉!「いいものを少しだけ」「必要な分だけ最低限」とか浮かんできた。食事だけでなく、この感覚を忘れないように、自分。
 
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仕事の作業がはいって編み物と刺繍ができない。ずっと仕事しているわけでもないけれど、なんだか余裕がない。スマホのゲームや本をぱらぱらっと眺める(これまた読めない)のはできるんだけど...。とにかく先に仕事を仕上げるしかないか。

今日は皆既月食、あまり天気がよくないけれど、雲の合間から見れるんだろうか、どうだろうか。星占いを見たら、大きな変化の時期とあって、具体的に挙げられた項目が当たっているような気がする。占いは「よい」ほうへの変化だけど、わたしが感じているのはあまりよくないほうの変化。

なんとなく経験則として「よいこともあれば悪いこともある」というか、人生の楽さかげんや、子どもとの信頼関係の時系列具合というものが「プラマイゼロ」だと感じている。つまり、しんどい思いをした分、そのあと楽がくる、みたいな。子どものこともコツコツと信頼を築いていって、時折、その信頼貯金を引き出して許してもらう、ような感覚。子どものほうは大きくその貯金を切り崩すようなことはないんだけど、人生の楽さかげんのほうはどうやら翳りが出てきたのではないかと思う。

あることが懸念され...具体的に書けないんだけど、これまでになく、いろいろな面で心配な事柄...心配してもどうにもならないのはそうなんだけど、覚悟を迫られているような。

考えてもどうなるのかわからないこともあるし、どうにかするしかないなという着地点しか(今のところ)ないのだけれど、そんなとき、つい思うのは、小さいときから大人になるくらいまで、いろいろとしんどい思いをしてきた分をすっかり使い切ってしまったのかもしれない、ということ。もっと備えておくべきだった、というのもあるか。後悔先に立たず。
 
同時に、受け入れるしかないのだったら、その中でできるだけ「よいこと」「楽しいこと」を考えるしかない、というのもある。自分ってそういう思考パターンが出てくるんだ、と客観視しつつ。

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起きる直前に見た夢にひさびさ...が出てきた。かなりひさびさ。ひと言も話さなかったなぁ。昔も昔、そのころの自分と今の自分は分断されているのだけれど、夢を見た直後だけは繋がっている。でも相手には繋がっていない。たまに思い出してくれることも...どうなんだろうかね。