6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

3月になりました。

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雨とともに3月になった。2月半ばから目がかゆくてかゆくて、目の周りも熱をもつくらい腫れてひりひりしていた。眼科にも早々に出かけて、なんとかやっと落ち着いたと思ったら、今日はものすごく頭が痛い。眉の上や頬骨のあたり、以前、花粉症からこじらせてよく急性副鼻腔炎になっていたのだけれど、そのときの痛い感じが続いている。エッセンシャルオイルやらハーブティーなど、総動員で対処中。この時期の、なんともいえない感情のやりとりが原因かしら。メタファーだけでなく「息詰まっている」ようで、肩をまわしたり鎖骨のあたりを軽くこする(マッサージ)すると痛きもちいい、という感じ。呼吸が浅いんだと思う。

気持ちの上では、特別な区切りを感じるときでもあるけれど、ぼちぼち新年度の予定もできてきて、手帳に記す。4月以降はまっしろだったはずなのに、いつのまにかぼちぼち、というか。あれもやりたい、これもやりたいということもあるんだけれど、始めるにはちょっと考えながら。新しいことばかりに目が行きがちだけれど、ちょっとふりかえって、中途半端なことをやり直すことも大事だよなと思う。

今日の教訓。


村上さんは目くじらを立てないのですか? - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

すべてのものごとにはメリットがあり、リスクがあります。リスクよりメリットの方がずっと大きいのなら、それでいいんじゃないかと僕は思っています。(中 略)どんなことをやったって、少しくらいいやなことはあります。ネガティブなことを言い立てる人もいます。でもだからといっていろんなことを避けていては、なんにもできなくなってしまいます。そうですよね?

 

ほんとうにそう思う。以前のエッセイに「10人お客さんがきてそのうち一人でも二人でも気に入ってくれたなら」とあって、わたしはこれまで折ごとにそれを思い出していた。物事の大きい小さいは(はたからみれば and/or 時に自分の中で勝手に)思うことあるかもしれないけど、でもあとからみれば、大きい小さいは関係ないんだと気づく。

かのサイトでのやりとり、面白い話でもずっとせつない気持ちで読み続けている。なんというか、これまでのしばらくがんばってきて、誰にも理解されないようなさみしい気持ちが心の底にじわじわたまっていたところを、優しく慰めてもらっているような、そんな感じ。決してひとりぼっちだったわけではないのに。でも、誰といたって、そういう気持ちって知らずとたまってくるものであって、それを癒すのはとてもとても「特別な」ことなんだと...いやはや、うん。

それにしても頭が痛い。比喩でなくて。