6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

相互理解、とまではなかなか...。

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今週は予定が少なくて集中して仕事...と思いきや、昨日はオットが「夏休み」(返上した2日のうちの1日め)をとったので午前中はお買い物につきあい、今日は事務的な仕事が入って外出、午後からも長男の予定での送迎があって出かける。送迎帰りに長女に連絡してみたらちょうど最寄駅、待ち合わせして買い物の前にお茶した。

今日は定期試験最終日で部活も早めに終わり、解放感いっぱいだった長女。たわいもない学校の話をしたり、近くの席にいた小さい女の子の様子を見ながら「かわいいねぇ」と話したり。今でもたまに「むっ」とする返答をするけれど、2~3年前は普段もたいがいかわいくない態度だったかと思うと、なんでもない話であっても気分よく話せるときが来るなんて!と感慨深い。もっとすごい思春期の反抗期が来るような気もするし、かといって、来ないような気もする。こちらもそれほど重大な意見の対立はもうあまりない気もする...でも、あくまで「気がする」だけであって、よくわからないけれども。

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SNS疲れ、というか、気の合わない人というのは、やっぱり「なんでもない」ところのやりとりであっても気が合わないなぁと、ふと感じてしまった。実生活でお会いする人なんだけど、了見が狭いなぁとつい思うことがあって、それ以来、ものの言い方にはちょっと気をつけていて...「否定はしないけど、同じ意見であるわけでもない」あるいは「部分的には賛同(共感)するけど、全体としては必ずしも同じではない」というようなスタンスで、ごくたまにコメントしてみたりするけれど、伝わっているんだかどうだか(きっと伝わるような人だったらそう思わないだろうな、とも思ったり)。いちいち関わる必要もないんだけども、見ちゃうとつい。「どれほど」そう思うのか自分で試しているようなフシもあり。

他の人に対して、感覚・価値観が違って話が通じないとか、その人の頑固さが感じとれてしまうこともなかったわけではないのだし、そういう相手に対していっしょに何かするときは、感情や評価抜きで(自分なりに)客観的に物事を考えたり伝えていたのだけれど、ひさびさ「根本的に違う」と思うことが続いたせいもある。そうやって反応するのは、なにより狭量なのは自分だからなんだとも思うんだけど。

家族であるオットとも、思っていたのとは違う反応や回答(返答)があって、これはもともとの理解が足りなかったのか、それとも年月を経ての変化なのかはよくわからないんだけど、やっぱりなかなか...。自分にないものにひかれて、というのがあるので、なおさら。そうだった、自分との違いに好感を持っていたからこそ結婚しているんだけども、そうであってもなんとも難しい。単に、こちらに合わせてくれる部分が減ったのかもしれないけども。

それを思えば、長女の気難しさなんて、いくらかでも自分と似ているわけだから、理解できるし、それほどややこしい感じではないかなとも思ったりして。こちらに対して向けてくれている気持ちの大きさの違いも大きいかと思われ...って、それがいちばんの違いなのかも。