6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

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今日はまる1日在宅。朝家事終わって仕事やら読み聞かせがらみの用意など。
 
割と余裕ありありで過ごして子どもたちも帰ってきて、夕食食べていたところでめずらしく着信音を切っていなかったスマホが鳴った。長女の習い事でごいっしょだった友だちのだんなさんの訃報だった。
 
習い事やめて進学先も違って駅の向こうのご自宅で…ということで、すっかり会うこともなく、共通の友だちとの会話にも話は出なかったのだけれど、昨春に余命宣告があり、さらに1年ほど経っていたんだそうだ。だんなさんを習い事のときにお見かけしたこともあり、長女もかなり驚き、ショックを受けていた。
 
たぶん少し年上だろうけど、さほど離れていないはず。お子さんは長女と同い年のお嬢さんだけ。お父さん似で、とても快活でしっかりしていたお嬢さんだったけど、この1年半ほどの病気のお父さんのこと、この先のことなど、どんな気持ちで考えていたのかと思うと…。そしてお母さんもさぞかし…。日曜にお通夜があり、そちらに出かける予定。
 
何歳であろうと誰しも明日のことなどわからないというのは真理だけれど、やっぱりこたえる。いくつであってもこたえるとは思うけど、それでもやはりそう感じる。
 
村上春樹さんが昔のエッセイで、ここまで生きてきたからこそ、と、確か(自分とさほど変わらない)37歳で亡くなった人のことを書いていたように思うけど(ややうろ覚え)45だって、50前だって思う。同時にそういう年齢になってきたんだな、とも。
 
余命宣告されて入退院を繰り返しながら、というのはほんとうにイヤだな、と、祖父母のことを思い出しながら思った。どういう死を迎えるかなんて、そんなこと願いどおりになるわけのないことだけれども。