6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

窓をしめきってひとしきりのんびり

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毎日驚くほど暑い。猛暑といわれる夏それぞれに「暑い」と思っていたけれど、今年は格別、と思いたくなるほど。こちらの体力も落ちるし、おまけに外に出る機会も(子どもたちがそれぞれ小さいときに比べたら)ずいぶんと減ったわけだから、さまざまなことが絡んでいっそうそう思うんだろうな、ということで。

まったく何もしないで3日間のんべんだらり、というのはさすがに無理だけれど、それでも数時間ずつぼんやりすることができた。映画(DVD)も4本見れた。本も読んだし、録画していたテレビ番組もいくつか見た。自分がしたいことはそんなこと。時折、ちょっと買い物がてら本屋、文房具、雑貨、服が見れたらそれでよし、ということで。 

 見たうちの1本。「生みの親より育ての親」というのは自分の境遇からしてよく言われたことだし、ある程度そう思うけど、ケースバイケース(あたりまえ)。わたし自身、子どもを持ってどういう距離感を持つのかと(どこか遠慮がちに)思っていたけれど、そんな自分のよりどころは「自分が産んだ」というところがやっぱりあった。今となっては血縁じゃなくての情が勝っているんだろうけど、その境界線はよくわからない。
母親でさえ、こう思うくらいだから(わたしだけ?)オットからすれば、自分(や自分の母親)にそっくりの子どもたちだからこそ、っていうのもあるのかな、なんて。でもほんと「おとうさん」って立場って...自分の母親同様、比較対象が薄いのでいっそう謎。長女が生まれたころのことを思えば、ほんといちばん忙しい時期で入院していた1週間のうち1日しか休まず、生まれた朝、長女の顔を見てそれから出社して...間に徹夜もあったし、それは退院後もしかり。2年後の長男のときだって、買ってきたお弁当片手に来てすぐに会社に戻ったり。長男がアカンボのときの記憶がないんだって。そのくらい忙しい時期に子どもたちが生まれたんだった。


疑うことなく血が繋がっていると思う子どもたちにだって、それぞれ「自分(たち)に似ている」「自分(たち)にまったく似ていない」と思うところがあって、それが年齢とともに変化があって、遺伝なのか環境なのかもビミョウ。
長男の人なつっこくて友だち最優先なところは両親のどこにも似ていない長所だし、自分に甘くて、楽なほうに流れる弱さはわたしのような気もする。長女のものを欲しがらないところはオットにそっくりだし、受験のときに塾の先生に言われた勉強に対する姿勢はまさにわたしそのものだった。不思議。


先だって見たテレビ番組での母娘関係の云々もそうだったけれど、親子や家族のことなんて、ほんとケースバイケースだと思うんだけど、どうもひとまとめに見ている意見が多くて驚いた。ごく広い意味で「親は子どもに対して~と思うものだ(&その逆も)」くらいはあるのかもしれないけど、「親に対して~と思うなんてありえない」みたいなのは一概に言えるものではない、っていうまでもない、って思ったけれど。

この先、自分が娘にとってどんな母親になるんだか...もちろん、それなりの距離感を持って、でもやっぱり協力したいと思っているんだけど、どうなんだろう。相手があってのことだから、わたしもどのくらい頑なになっていくんだか、というのもあるし。わからないよな、と思っている。