6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

梅雨の合間の晴れの土曜日

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梅雨の合間の晴れ。昨日も突如として真夏のような日差しで午後からの雨も、という予報が自分の地域では外れたものの、今朝ニュースを見たら都内はかなりの雨だったらしい。今日はダイジョウブそうだったので朝から洗濯3回。

長女は部活、オットと長男は用事がてらいっしょに出かけてしまったので、朝家事の後は窓を開けて事務作業。読み聞かせ関連の連絡、手帳を前に予定を確認したり、いろいろ。家計簿もつけないと。

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朝ドラで主人公よりも気になってしまったので、つい「白蓮れんれん (集英社文庫)」を買ってみたけれど、文庫本の字の小ささにちょっと気力が続かず。昨年、学校のバザーを担当する人がクロスステッチのものを作っている折、夜になるとメガネをかけてもキツいという話をしていて、そうなのか、と思っていたけれど、すっかりそういう感じになってしまった。新書でぎりぎり、単行本が大事になってきそう。

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適材適所、ではないけれど、しっくりとはまる場とそうでない場があるなぁと最近つくづく思う。いわゆる順応性の違いといった、こちら側の問題なのか、その場を構成するものに受け入れられていないからなのか...そのこともなんとなく後者に理由を求めたくなっている。 

かねてより親しくなることのメリットの有無で近くなったり遠くなったりするような、そういうものだといえばそうなんだけど、それが続くとちょっとガッカリする。そんなことを考えてガッカリする自分の弱さにまたなんか大人になりきれていないというか、中途半端なやわさにウンザリするのも重なってしまうのだけれど。

ご縁次第、で済ますことにする。あまり考えすぎない。

感情が落ち込むことから離れて客観的に 改善ポイントを考えるのならよいかと試行転換する。
 
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長女の学校の保護者会にてスクールカウンセラーの先生のお話を聞いた。「思春期の入口にいるお嬢さまがた」と「更年期のお母さま」がいっしょにイライラして衝突するのはとてもつらいことですので、とサラッと文中に入れてお話なさっていたけれど、その語句自体がかなりこたえそうだ。同級生のお母さまの中にはとても若い方もいらっしゃって、37歳と45歳では(もちろん個人差はあるので自分だけの比較としても)ずいぶんと違うだろうと思うけど、想像すらできないくらい。

小学校の5年のころのほうが扱いに困った。実際、機嫌が悪かったり、何を言っても反応がないような...長女とは言い争いにはならず、一方的に言い続けても、何も伝わらない、響かない、というのがほんとまいった。何を考えて何に怒っているのかがわからなくて(本人もわかっていなかったのかもしれないけれど)。
たまに学校の先生の話だとか聞くと、いつも大人の批判で、しかも的確でフォローできなくて...でもそのころから「んんん?」と思うくらい、自分のころを思い出して、頭にくる言動もすべて自分がやってきたことだと思うことが多く、ずいぶん親子関係への見方が変わって、自分の長女に対する接し方を変えて、ひと山越えたのかと思う。

今も頭ごなしに叱りたいときもあるし、なんで気を遣っているんだろ、と思うときもあるけれど、それでも話ができるほうが何を考えているのかわかることもできるし、やはりそれでも自分にとって嫌なことがあれば、ある種のテクニックを使いながら(アサーティブ)伝えるようにしている。

でもほんと「自分がそのころにやっていたり思っていたこと」に比べたら、っていうのがいちばんのクスリだったりもする。