6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

なにか小さな、だけど、本人には大きな殻を破ったようで

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先週は長女と長男それぞれ体育大会と運動会。長女のときは雨でしたが、大きな体育館なので問題なく、かつ空調もきいてきて快適に観ることができた。暑い最中、かなりの確率で体調崩す小学校の運動会と違って快適なことといったらこの上なく…いやはや、お金を払うってこういうことですかね…と、つい下世話なことをオットに言っちゃった。

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誰もやる人がいなくて引き受けることはこれまでもよくあったけれど、自らなにかを積極的にやることはめずらしい長女。今回の体育大会ではクラス対抗リレーに出て、別競技でもアンカーを引き受けた。リレー選手はタイムでの選抜ではなくあくまで挙手による立候補だったのではあるんだけど、きっとほかにもやりたい人がいただろうと思うとちょっとびっくり。そして「見に来て応援してね!」という言葉に二度びっくりした(おまけに、当日は観客席から保護者席にいるわたしを見つけて大きく手を振っている姿に3度めのびっくりがあったのだけれど)。

小学校のときなんて姿をちらっと確認したらそれきり。手を振るどころかニコリもなし。そのくせ行かなかったらそれはそれで不満なのもわかっていて、ひとまず足を運んでいたのだけれど...いやはや、何かを抜けて長女は変わりました。

いくつかの反抗期を過ぎたからか、さもなくばかの学校の雰囲気において「自分を出す」ということをおのずと迫られて頑張っている最中だからか、はてまたその両方のせいなのかはわからないけれど...。「自分を出す」ことのむずかしさだったり、ほんとうの意味だったりを本人なりに学んでいくことを願うばかり(かくいう自分だってよくわかっていないんだろうけども)。

おそらくさまざまな「個性的な」人が集まる学校においてなんとなく自分の居場所がみつかったのかなと思われ...勉強面におけるなんとなく感じる位置付けには「あらら...」ではあるんだけど、まずは部活を中心に学校生活や友だちとのことで得るものを大切にしてほしいなぁと願うばかり。友だちと手を取り合って喜んでいたり、観客席で立ち上がって先輩の演技を見ていたり、そんな姿を見てひとまず安心した母ではありました。

その母は、入学間もなく上級生たちの楽しげな姿を見るだけでひたすら感動したけれど(そもそも体育大会を一所懸命に取り組んだ思い出が自分には皆無なもので)今年はだいぶ冷静に見れた。それでもいくつかの場面ではやはりぐっとくるものがあり...1年が過ぎた今となっては改めて6年間の早さが実感できる分、ほんとうに毎日を大切にしてほしいなぁと願うというか、祈るばかり。

自己投影ではなく、わたし以上の経験をぜひしてほしいと願っていて。「わたし以上」ってなんだろう、といえば、難しいのだけれど、なんというか、まぁ...表面的には違っても、心の奥底には素直な心持ちを忘れず、というか。漠然とただ思う、って感じ。どうなってほしいとか具体的にはなくって、本人にとって大事な時間がただ目の前を通り過ぎるのではなく、なにか関わりを持って感じ取ってほしい、みたいな。