6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

またいろいろ考えて、ちょこっとだけ経験を積んだ気でいる

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たった3日間の平日でしたが、予定ややることがもりだくさん。それでも、連休中もひとりでいたにもかかわらず、なんだか平日の「ひとり」はホッとするような。休みの日はトクベツなので、やっぱり落ち着かないわけで...ふだんのリズムは大事。

一昨日は、昨年度の、長女の学校での委員会でごいっしょした方たちとランチ。たのしいひととき、でした。

昨日は、一日家で仕事と家事。3回洗濯してパソコンで作業。

今日は、お役の集まり。ちょっとばたばたしつつもなんとか。昨年度も同じことをしていたんだけど、立場の違いは大きい。世間話もまじえて、いろいろな方と話をしたけれど、もともと知っている方もいるし、楽しくやれるといいな、と。それにしてもこまごま&あちこち連絡や手配があって、結構煩雑だったりする。メモしきり。

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そろそろ長女の、歯の矯正ワイヤーがとれるそうな。まだあごや頭が成長するのでは?(早くないか?)と思っているけれど、夜、寝るときに装置をつけて固定するだけでよいらしい。それが1年くらい...??15歳で完了、となるそうだけど、うん。あごを広げる装置を小2から始めたので、現在7年め。最初にもらった資料に、その7年前の写真が出ていて、あまりに小さくてかわいかった。今、こんな小さい子どもといっしょにいたら...なんて思うけれど、過ぎてしまったんだなぁ(しくしく)。

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長女の気難しさや周囲に最低限の気配りすらしない(できない)ところ、人見知りというか、ちょっとうまく伝えられないところを見ると、時に「ナニサマだ!」と思うときもないわけではないけれど、それよりもむしろ、同じ年齢のころの自分を見てしまう。だから怒る、というより、わたしが今ごろ反省したりモノがわかるよう見せられている、という感覚になる。なんとなく伝えることもあるし、あれこれ親に言われても受け入れられないだろうし、いつか立場が変わって気づくこともあるだろう、と思っているのだけれど、どうだろうかな。

「投影」というのはないつもりだけれど、どこかわたしよりもより選択できる立場で育つ、というのをこれまた見せてもらっているようなときもある。正直、長女のように中学受験して、そういう学校に行っていたらどうだったかな、と思うときは少なからずある。もちろん、今の自分を後悔しているわけでもないし、そういう選択肢は自分の人生にはなかったわけだから「もし」というにも遠い話なのではあるのだけれど。

こうなってほしい、というのではなく、わたしの考える範囲を超えて、自らが選んだ人生を生きてほしい、という感じかなぁ。長女の学校はほんとうに信頼できて、すごく恵まれた立場だと思うのは、そういう時期を過ごしてかなり経った自分だからわかることだから、本人はなんとも思っていないのかもしれないし、わたしの想像を超えたしんどさも同時に抱えているところもあるだろうとは思うけれど、「こういう世界もあるんだ」っていうのを見せてもらって、それはありがたい経験だと思う。

同級生の人でどうとか、先輩で、同級生の(他校の)おねえさんが、とか、いろいろな道を進んで、中には「すごーーい!」と、つい言っちゃうような経歴だったりするんだけど、そういうことは長女には手の届かないものだとは思うし、それでよいものの、それでも、近くにそういうことをしている(できている)人がいる、ってことだけでもやっぱり貴重だなぁと思う。

よくも悪くも、自分ができなかったこと知らなかったことを見せてくれたり、改めて反省させられたりもして、これが長女という子どもを持つテーマなんだなぁとしみじみ思うときがここ最近特にあったりする。ほんとうに感謝している。