6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

にわか雨はなく。意識の上でも新学年。

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このところすっかり涙腺が緩んで、ちょっとしたこと...テレビを見たり歌を聴いたりするだけで(自分とはぜんぜん関係ないのに)うるうるっとしてしまう。朝ドラの女の子の健気さに泣き、老夫婦を歌った歌を聴いて泣き、先日の映画*1にいたっては号泣。たぶんぜんぜん泣かなかった(泣けなかった)分を取り戻すように...あのころ、すーっと泣けたらどんなにか楽だったろうに、って思う。

分析しても仕方ないところではありますが...なんだか余裕がないと泣けないような、そんなふうにも思えます。自分ひとりで勝手に「余裕がない」と思い込んでいただけにせよ、ほんとうに大変なときって泣けないものだ、という感覚はある。

自分なりに抱えているテーマに共鳴するなにかがあって泣いてしまう、っていうのもわかっているんだけれど、同時に、今、現在「それどころではない(過去と向き合っている余裕はなく、今でいっぱいいっぱい)」となっていないことでもあるんだと思うと、勝手に泣いてしまう、というのもどうかと思う。もちろん、そのしあわせのありがたさは感謝しつつも...。

これもすごいエゴなんだろうな、というか。

でもイイワケがましく、「インチャの解放」「癒し」のプロセスであることをゆるしてほしい、という気持ちもある。

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今日もほぼ一日中、ぶぶっ、と、長女のスマホが鳴っていた。たぶんLi●eなんだと思うけれど、ものすごい情報量だよな。クラス替えよりも担任の顔ぶれについてやりとりしているようで、月曜のクラス発表を前にして一通り話は済んだみたい。明日は部活だから次は先輩のクラスがどうの、かなぁと思われる。

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長男のまとめテスト、自己採点では国語はまぁまぁ(当人比)、算数と英語は...。もうちょっとよくするためにどうすればよいか、と訊ねてみるものの、本人は「そういうけど、昨日もおとといも勉強したんだよ」と。そこから始めている限り、向上することはできないよなぁ...「今もがんばっているけれど、もう一歩がんばった結果を出すためにはさー」と平常心で話してみたけど、なかなか。ほんとうに「優しい」ということと、「弱い」というのは表裏一体だ。

そうそう、長女の周りの友だち(中2)もにわかに塾通いを始めた人たちがちらほらいるらしく、英語だけ・数学だけ、という人も多いらしいけれど、わたしからすれば「もう?!」と思ってしまった(わたしも甘いのか)。なんというか、大学受験の勉強ばかりをするために過ごすのもなんだかなぁ、と思うけど、とはいえ、背に腹は...的な。理系に進まなければ仕事もあやしい、というのも安直だけれど、そういう風潮で。私立理系なんていったい学費はいくらになるんだか。やっぱり国公立に、と思うけれど、そうすると...なんてね。とりあえず「今すぐどうこう、ではないけど、進路については意識しといたほうが」とやんわり伝えてみるけれど...うーん。

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なにはともあれ、進級した、って気が、今日した。