6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

春休み前の。

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オットは秋ごろのリフレッシュ休暇のときの2日返上した分をこの連休にくっつけて5連休、長女もすっかりお休みでポツポツ部活が始まるものの、今週はお休みで出歩いたり家で課題をちょこちょこスマホの合間にやっていますが...かくいうわたしも忙しいようでそうでもなかったり、ということで、気分はもうとっくに春休み、という感じ。この数日の小学校は必要なのだろうか?とりわけ卒業式も終えた5年生にとっては、大そうじくらいでよいのでは、なんて本心では思っています(子どもには言わないけれど)。

朝、起こす時間をめぐって機嫌を悪くした長男を送り出して(実際に送り出したのはオット)、ゆっくり朝ごパンして、ためていた家計簿記帳を済ませました。こまめにつけないと散財してしまうので要注意。今回もいくつか気になるところがありましたが、とりあえずあと10日あまり気をつけよう。子どもたちがそれぞれ予定があって、休日にむやみに買い物に出歩くことが減って、無駄遣いも減りましたが、その分、通販やら本・雑誌など買ってしまうことも多く...ほんとうに必要なものを必要な分だけ、というのはなかなか...。

今週はやっと暖かく感じるときも増えたけれど、その分、花粉症も結構...今年は昨年の3割程度、といわれていたけれど、なるときにはなる、というか、時期が遅かっただけ、のような気もする。手湿疹やアトピーのかゆみで皮膚を荒らさないよう、皮膚科でもらっている抗アレルギー剤をごくたまに飲んでみたり、マスクにペパーミントの精油を垂らしたり(2枚重ねて使っているマスクの外側のほうに垂らす)してやりすごしているけれど、なんとかなるかどうか。ちょこっとの薬で少しだけ抑えるうちに、ちょっとずれてしまうと、副鼻腔炎か、3段階くらい深くなってしまった咳(息ができないくらい)になってこじらせてしまうので、それは回避したい。とはいえ、予防的に薬を飲み続けたくない、というのもあって、なかなか。

「なかなか」2連発、でした。意識せずに使っていた。結局、自分に甘いんだろうな。「~とはわかっていても(思っていても)なかなかできない」ってこと。はい、すいません。

若いころには「(自分も)なかなかのもんじゃない?」と思っていたところもあったように思いますが(はい、ありました)、そんな自信はどこへやら。焼け野原、という気でいるけれど、今になって思えば、焼ける前から大したものはなかったんだとも思います。これがどこまで自己評価の低さなのか、事実としてそうなのかはグレーのままにしておく。

どこに向かっているんだか、自分でもわかりません。向かおうとしているのか、はてまたごくごく小さいところをただひたすらぐるぐる回っているだけのような気もする。今のうちにもっと先を見て、わずかでも何か取り組んで将来に備えることも必要なんだろうけど、どこか自分を消して目の前に示されたことを黙々とやるべきなのだ、というのも思ったり。

うまくいえませんが、また手のうちに「あった」と思っていたものを(もしかしたらそれほどあったわけではないにもかかわらず)またどこかに捨ててきてしまったような、そんな段階を感じているような。たぶん、これがある年齢の節目。年を取る、というのはこういうことだと思う。何かあきらめたり、失われたものに気づく、というか。

前回の日記もそうでしたが、なんだか「おしまい」感ばかりを受けて、自分とは無関係のことにまで「さみしさ」を感じているだけなのかも。まだまだやれる、のかもしれない。見失っています。