6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

無知の知、という段階に。ようやく?

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自宅ではネットラジオで外国のクリスマスの曲を流す局を聴きながら作業しています。だいたいはクラシカルな音楽で、時折、讃美歌も流れ...有名なものに関しては長女も口ずさんでいます。「八重の桜」のとき(劇中で流れた讃美歌を「これ、学校でやったよ!」と最初は日本語歌詞で、次には英語歌詞で歌っていた)もそうだったけれど、讃美歌を英語でそらんじて歌っていて、学校の教育を感じます...信仰をお持ちの方には失礼でしょうけれど、こういうことが「教養」になっていくんだ、と思います。
信仰ももとより文化や音楽といった面での教養があまりにもない自分、ほんと「目的のある勉強」しかしてこなくて、しかもそれも浅くてその場しのぎだったと思います。結局、仕事の種にすらならず、だしね。いまさら、なんですけれど、ちょっと自分でも勉強してみようと思います。これが単なる新年を前にしてのそれ、でないことを自分でも祈りつつ。

世間を知る、という意味においては子どもを通じた世間としてはいろいろと見聞きさせていただいて体験させてもらっていて、自分の中では長女と長男の学校では文字通り「雲泥の差」を感じているけれど、それもまたなんとも偏った世界なのかもしれません。偏りながらもいろいろと知る機会でもあり、自分の考えを問われる(答える必要はないんだけど)ことは多いです。

また別の場経由で、今まで知らないできた事柄をたくさん知る機会ができて、意識を向けようと思っているところ。あまりに知らなさすぎる!ということもあって、追いつくには程遠く、いままで意識を持っていたつもり、とはいえないくらい、あまりにも見てみぬふりをしてきたなぁと痛感する日々。まずは「知る」ことから始めたい、そこからまた自分自身に「問う」ことが...って、そんな悠長なことを言っていられるわけでもないのかなぁと不安もありますが。

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今まで何をしてきたんでしょうかね。カツマさんが誕生日を迎えて「折り返し」の話をしていたけれど、わたし自身は長生きではないだろうから、もっと早くから折り返りのつもりでいますので、とっくに残された時間について漠然とながら思い始めてひさしいです、はい。

自分の役割ってなんだろうかな、と。ほんとうはもうこの年齢になっているのなら「使命」がわかっていて、他者のため・社会のために、ってことになるんでしょうけど、どうもそのスケールは自分で持てないまま、日々追われているような...。

自分の見ているのが自分の世界、もう少しきれいな世界であってほしい。そのためには...というのが課題。