6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

インチャの存在

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昨日、長女は文化祭の代休。友だち6人で出かけてきましたよ。今まで友だち同士で出かけた中でいちばんの遠出。朝は6時前に家を出て、21時半に帰宅...って、どうかなぁと思うんだけど、行き先はわかっているんだし、とりあえず何事もなければそれでよいと思ったし。実際、遅いといらいらするでもなく、心配は心配だったけれど、これはわたしの経験でもあるな、と。自分自身があれこれうるさく言われていたことを思い出すと、子どもにもそう強いてしまうか、それとも寛大なふりをしてヤキモキするのかと思っていたけれど、どちらでもなかった。今後、もっとわからないときに不安を感じたら...と思わないでもないけれど、これはわたしの中での課題。

子どもたちが小さいときから、自分の小さいときを思い出してしまう、というのはよくあることで、それに対していろいろな感情を追体験してしまうこともあるんだけれど、わたしがいい親かどうかはさておき、少なくとも環境としては恵まれているはずで(それはそれでまた違う負担や足かせもあるんだろうけど)、そのことに対してよかったなぁと思っている。けれど、以前、自分の育ちと比べてあまりにも恵まれているわが子がそれにまったく気づかずに過ごしている様子を見てすごくイライラする、という話を読んだことがあってものすごく驚いたのだけれど、今後、わたしも絶対にないとは言い切れないかもしれない、と今では思う。

ふとしたことで、自分の中で悲しむ子どもがいる。あのときの自分はつらかったんだな、かわいそうに、と大人の自分が小さな自分をなぐさめたくなる、というのはやっぱりあって。わたし自身は小さいときより大人になるまでが随分しんどい思いをしたこともあって、今後、そういう気持ちがふつふつとくるかもしれないなぁと思ったり。いらいらするというか、悲しくなるような気がするけども。

きっと長男に対してよりも(同性である)長女に思うときのほうが多いんだろうけど、そのときよりもちょっとでも早く自分の中の「子ども」を解放していけるように気をつけよう...。