6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

同じ年でもあり...。

ファミリー・シークレット
柳 美里
講談社
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昨日会ったお友達にこの「ファミリー・シークレット」をもらった。もう帰ってから細切れながら、先に読み進めたくて、ひたすら読んでいました。


わたし自身はひどく叩かれたとかはなかったし、小さい時は完全に「甘やかされていた」ほうであったけれど、とはいえ、思春期からは立場上、逆らえない・反抗できない状況だったのに、育ての父である祖父がやたらと厳しくて支配的で、そして怒ると怒鳴るので、びくびくして過ごしていたんだよな。そういうふうには見えないようにふるまっていたけれど(むしろ「怖がっていないよ」というようにしていたけど)、ちょっとした物音(ものに当たる、というほどでない音)にもビクリとしていたし、数年前にDVの話を聞いたとき、状況や反応が共通するところがあったんだよね...だんだんとあやしい雲行きになり、そして雷が落ちるように怒りに触れて、でもそれがやましいのかへんに優しい時もあってとか、それに対するわたしのびくびくした加減も同じだなぁと思ったんだった。


子どもに手をあげることはまったくないけど、なんだか親子の距離感だとか、自分の中に「スタディケース」がないだけに本当にわからないことだらけ。たまたま数年前から「自分と向き合う」ことを始めて、子どもをどうにかするんじゃなくて、自分をどうにかしないと、と...思ったからこそ、ひどいことにならずに済んだとは思うけど、当たり前だけどしょっちゅう「これでいいんだろうか」と思うし、自分はだめな母親(嫁、大人、人?)っていう感覚が抜けきれない。


そして、わたしも自分の本当の両親に対して、どう思っているのかわからないんだよなぁ。大嫌いだとか憎いだとかいう激しい気持ちもないけど、会いたいわけでもないし、死んだら泣くか?というのもどうだかなぁ...ほんとわからないんだよな。


でも、子どもを育てながら、同時に自分の中で子ども時代をやり直している部分もあって、改めて「感情にふたをしていた」ことに気づくことが多い。当時はなんでもなかったつもりでいたけど、本当は違ったんだなぁとか、加齢とともに涙もろくなったせいもあって、やたらと自分の奥のさみしさを感じるときもあるんだよな...それがどこまでどうとか分析しきれないんだけど。


これがこれからのテーマなんだと思うけどね。