6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

氷を融かす

昨日のメタファーは、真正面に立った相手に二の腕を冷たく冷え切った手でつかまれて揺さぶられている感じ...相手の方から強く責められている図、ですね。相手は自分を映す鏡、自分の中に「相手に対する対応の冷たさ」というものを自分で自分を責めるような気になっているからでしょう。


実際の相手の人は、一切周囲の人たちを責めることなく、自分自身の話をしながら、自らに同情する涙を流すこともなく毅然と話をなさっていました。ものすごく芯が強いこともあるし...わたしなんぞが言うのもなんだけれども、ある部分の感覚を遮断して、固くて冷たい壁に囲まれた内側に身を置いているんだろうな、と思います。今のままだと光は届かない。いつか自ら外に出て...ということを願っておりますが、それまでどうか心身ともに健康で...とお祈り申し上げています。


わたし自身にとっても、自分なりの正義をふりかざすことの無意味さ、わたし自身の器のちっささを痛感させられたことでした。ずいぶん前に出会った別の人との関係と同じような感覚を再現させられているような、そんなことも多かったです。わたし自身には母がいなくて、そのぽっかり空いた穴にまつわる、さまざまな不都合と折り合いをつけていますが、実の母親との関係で深く傷ついた娘が自分も母になって目の前に現れる壁のしんどさについて、わたしも見せていただいているんだと思います。どっちがしんどいとかそういうことじゃないんだけど、でもなかなか大変なことなんだと思います。

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損得勘定をすること...場面において計算をしてしまうところだったり、損をするのはいやだとか、どこか自分だけ得してラッキーみたいな反応も目についていたけれど、そういうことがご縁を切ってしまうんだとことも見せていただきました。そういう計算じゃないんだということがよくわかったしね。手を広げることでお金につなげていく、というのも、わたしには必要ないので、目の前の限られた人たちと本当の交わりを大事にしたいと思いますわ。

ありがとうございます。