6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

いろいろ考えさせられた

来年度の委員選出にあたり、各委員会の仕事の内容を紹介するおたよりを出し、さらにクラス替えのない学年*1に関しては、3月の懇談会で委員を決めてしまう試みなんだそうで。それに伴い、12月に「仕事内容を書いて提出」したのだけれど、それをもとにつくられたおたよりに関してはどうやら配るまで見せてもらえないみたいだ。委員選出のときには「経験者としての口添え」も言われたにもかかわらず。


いやはや、「どうでもいい」んだけどね。いちいちひっかかるんだよな。相手の立場を想像すらしない...いや、もとより役員の中に、委員なんて「下」という序列があるんだろうな、というのがよくわかる。


だいたい思いつきというか、行き当たりばったりで動いているように感じる。7月初めに提出した書類の不備を昨日伝えられたり...そのときにはチェックしなかったというのがバレバレ。一事が万事、すべて物事の本質というか、意義を考えずに、効率だけとか、その場の雰囲気で、いちばん声の大きい人の意見が優先されているような。


だいたい委員の仕事をそれぞれ説明されたから「じゃぁやります」というものでもなかろう。特別な能力がないとできないような内容のわけはありえないし、極端な話、引き継ぎ資料というか、マニュアルみたいなものを改めて作らなくても、活動報告をきちんとやっていればできることだろうし、役員も委員(長)経験者がいればわかることも多いだろうに、というか。役員もクラスから挙がってくる委員たちに信頼もしてないからこそ、資料でガチガチに固めておく、っていうことになるのかなぁと。


引き受けるほうも「仕方なく」って感じだから、ね。「子どもたちのために、学校に協力する」という建前がなくなっちゃってさ。「協力して学校やクラスのこと、子どものことを少しでも知りたい」というところの「協力する」というところがすっぽ抜けている人がままいたりするように感じる。あ、わたしの委員会にはいませんけどね(ははは)。


子どものクラスの係活動でも、事情はあったものの、係活動に伴うポイント制度ができていて、係のサービスの授受に対してポイントが発生するんだよね。ポイントを管理する「銀行」を担任の先生がやっていて、年賀状のおとしだまくじで「宝くじ」っぽいことをやっていたり(<んなの、通常「連番」なのではないのか??)。係活動って、クラスや学校のために「奉仕」することではないのか、と思うんだけど...うん。


みんなが「損得勘定」と「権利最優先」ってなるのかと思うと、オソロシイ。○○係や△△委員をやったら損、なんて感覚なのかな...物事の本質、意義がないからこそ、ずれてきちゃうんだろうに。そもそも意見交換すらできないしさ...なんて、ぼやきになっちゃったよ。

*1:子どもたちの小学校は、イマドキ珍しく?2年に一度のクラス替えなのです。