6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

抽象的にいえば

自分の中での大きな変化としては、「〜(す)べき」という思い・考えを捨てる、と決めたとき、かな。もちろん、一朝一夕で考えが改められるわけでもなく、何度も壁に頭をぶつけながら(比喩ではありますが、まさにそういう感覚がぴったりの表現だ)やっとすんなり自分の中に落ちた考えでもある。


否定せずに前向きに...と思うと、つい「すべて受け入れる...べき」っていう考えもセットでやってくるのだけれど、でも「すべてを受け入れる」ことなんていうのはできっこなくて、「べき」と思った瞬間に、相手にもそういう価値観を共用してしまうことにもなるわけで。「なるべく...」っていうのさえ、ちょっと違うのかもしれない。


全部できっこないからこそ、周りの人たちと協力して、となるし、そうなれば、自分ひとりの力ではない、ということも自覚できて謙虚になれるはず...なんてね。


できないからこそ、やっぱりきちんと「取捨選択」が必要なんだな、というかさ。

すべてがつながっているわけですな。


もちろん、小学校のことだけではないんだけど、意外とそこらへんでのびっくりの経験が大きいのも確か。