6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

居場所

今日は趣味の集まりの席。初めて7年近くになるのだけれど、この数ヶ月「退会」という言葉がちらついている。気持ちは半々...かなぁ。いや、もう「義理」という部分だけでいるような。出かけてみれば、とても尊敬する人たちとのかかわりもあって、話を聞くだけでも十分学ぶところはあるわけだし、意見もいえば、少しの仕事も請け負うけれど、なんだかちょっと「違う場所」になってしまったような。自分の感覚が抜けてしまって、心ここにあらず、みたいなそんな感じだ。勝手に違和感を感じているわけで。


かといって、別に小学校に居場所があるわけでもないんですけれども(<当たり前)。来年は一切なくなってみたら、また人生が変わるのかもしれないな、なんて、ふと。単に疲れているだけなのかもしれませんけど、さて。


自分の中では、やっぱり自分の親とのことを向き合わないといけないな、と思います。実際、父親は体調も悪いわけだし、何かに気づいたときにはもう...みたいなことだと、それこそ一生悔いが残るだろうし。わたしの抱えていることが解決しないと、コドモたちにも連鎖というか、因果がねぇ、みたいな恐怖もあるし。


毎日の居場所でさえ、自分の義務であるところの「家事」をきちんとしていない負い目があって、それはそれで落ち着かない。義務を果たしてからこその権利、というか、自分の役目を果たしていないことに罪悪感が募っていて...まずは「やることをやれ」ということなんだけども、ふむふむ。わたしにとって大事なことはなんだろうかな、ってことかなぁ。


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いささか感傷的な部分があるのは、テレビで連日されているニュースの影響もあるかも。87年&88年のコンサートには、わたしも行ったよなぁ、ってところから。大ファン!というよりかは、たまたまチケットが手に入ったから出かけた、ということなんだけど。そのときいっしょに見た人は、このところのニュースを見て、わたしのことを思い出したりするのかなぁ、なんてね。20年以上も前の話じゃん。


昔に帰りたい、とは思わない...うん、基本的には思わないけれど、でもさ、やっぱり思うところはあるよね。そのころの自分に教えてあげたいこともたくさんあるし、もっと...と思うこともある。それはもちろん、今の自分が満たされないから、というのではなく...。なんだかせつない。死んじゃったわけだしね。