6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

引き受けるのも引き受けないのも

土曜日になりました。幼稚園・小学校ともどもお役の「新旧交代」という週であり、幼稚園では引継ぎ、小学校では第1回めの委員会が始まりました。あとは幼稚園の同窓会の運営のほうの集まりがあって、そちらでも書記(というかパソコンを使った連絡係)を引き受けることにしました。名簿作ったりしないとね。合間に、自分の趣味の集まりのほうで、事務的な書類の作成もやったり...結構、忙しい(笑)。いずれも「ボランティア」でして、お金のならない仕事に一所懸命働いております、ハイ。


「お金のならない...」と書いたのは、お役を引き受けられない理由として「夫の賛同が得られない」という話があったのです。「夫の、たまの休みの日にでも昼間、(お役のために)家を空けると機嫌が悪くなってしまうんです。『お金にならないことだろ』って言われてしまって...。」というようなお話でした。
わたしもお役を引き受けるたびに「あー、またオットに叱られてしまう〜(笑)」と言ってしまいます。その半分は「またそんなに引き受けちゃって」という部分と「家が片付くのはいつのことか?」ということを含んでいますが、そこに「機嫌が悪くなる」というのは含まれておらず...文字通り(笑)的な感じでいられるんだけども...。


お役のせいで、とはいわないけれど、やっぱり疲れてしまうときも多く、家事を二の次三の次にしてしまっていて、忙しさの皺寄せが家に行く、というのは身に染みてよくわかることだし、実際、ウチのオットにも「会社で働いていたときにそのくらい頑張ってくれたら(どんなにか稼げただろうに)」ということは冗談交じりに言われていたので『お金にならないこと』という感覚はよくわかるんです。家の中も片付かないし、料理も手抜きだし、忙しいときにはその作業にかまけてしまっている、っていう姿もオットに見せてしまっているし...文句のひとつも言いたいところを随分とガマンをしてくれているんだなぁと思っています。ガマンしてもらっていることもさることながら、そもそものわたしの「役割」を果たしていないことに申し訳なく思っています。そして、「子どもたちのため、ひいてはヨメ自身のため」と思って、呆れながらも許してくれているオットの寛容さに改めて感謝しないといけない、と思いましたです。まじで。


あ、また別の人は(夫にではなく)「あー、また息子(小5)に叱られるぅ...」と言っていました。そこのご家庭は子どもを叱った折も「(子どもに「出て行け!」とならず)だったら、お母さんが出て行く!!」となるそうで、子どもたちが「お母さん出て行かないで〜」となると聞いたことがあったなぁと思い出しました。でも、その息子さんも「給食委員長」になったそうですから、やっぱり親の姿を見ていますね(ふふふ)。


小学校のほうも、引き受けた後にいろいろとあって...月イチの定例会に出るのも難しい、という人が立て続けに数名出てきて、対応に追われていました。第一回目の定例会にお産(帝王切開の手術!)が入っている人が手を挙げた、というクラスがあったり、仕事があって○曜日は絶対に休めない(=つまりずっと委員会に欠席)とかね。当たり前だけど、上の学年に行けば行くほどやる人もいないし、先生自身もとりあえず引き受けてくれる人がいたからいいか、という気なのかな...と思ってね(だって、おなかが大きければ、予定日とか気になるでしょうに、と思いまして、女の先生でも未婚で若い先生だとそこまで思わないのかなぁ?)。ほかにいないのかな?と思っちゃったけど、やっぱりいないんでしょうね...。


だから、引き受ける人って、たいていいつも同じような顔ぶれになっちゃうんだろうな...。


うまくいえないんだけれども、いろいろな意味において、お役ができることって、自分が向いている向いていないとかに限らず、子どもたちの性格や、オットとの関係も絡んできて、そして、それこそ経済的なこともあるんだろうし、と思うとね...。一概に「どうして引き受けないの?」とはとても思えないようにもなったし、別の面では「どうして引き受けちゃうの?」と思うところもあったり(<まぁ、こちらはそんなに強く思っているわけではないんだけど)、いろいろあるなぁと思って...。またいつものどっちの立場も「わかるわかる」気質が出てきてしまっているのかもしれませんが。
わたし自身は「できない理由」を順々に述べていって、消去法で引き受けるくらいなら、(以前はちょっと違和感があった>)くじでもジャンケンでもいいと思うくらいになりましたが、「たかが学校のお役じゃないか」というところひとつにも、「たかが」を超えた部分がそれぞれの人たち、そして自分の中にも見えて興味深かったです。