6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

自分らしさ

某有名人の話題をテレビで見ながら、その人が使っていた「自分らしさ」っていう言葉がすごくひっかかってしまった。以前のわたしなら「自分」も「らしさ」も嫌いだったし、ましてや、それがくっついた「自分らしさ」なんていうのは、そりゃぁダイキライだったはずだけど、ようやくいろいろなワークを経て、という今のわたしがひっかかるのは「なんだろう」と考えてみた。ものすごくエラソウな言い方だけど、その人の「自分」は、なんというか、まぁ、ひとりよがりのワガママ、エゴの延長線上の「自分」であって...「自分らしさ」=「自分にとっていちばんいいこと」という視点でしかないんだなぁと思ったところに...ひっかっかったわけで。勿論、わたしもエゴがゼロ、なんてことはないだろうから、いかなるときも「エゴ」が含まれていることを検証しながら、自分の中の声に耳を澄まして気をつけているんだけど、ね。


『世界はその人が見えている世界だ』ということをつくづく思うことが多いけれど、わたしにも、わたしが意識している・していないにかかわらず、見たいところだけを見ていて、そこで感じたり思ったりしているところが、自分にとっての「現実世界」なんだと思うし、「わたしを生きる」ための日々の大小の選択にしてみても、そこは深いところからくるものなのか、単に頭で(合理的・打算的)に考えてのことなのか、気をつけながらみきわめようと心がけているわけで。

ましてや、大きな物事や人に対することを思うとき、そこには自分のエゴなのかどうなのか...たとえ、相手にとって「いいこと」をもたらすつもりであったとしても、それすらエゴなのかもしれない、というところは気をつけるようにしていて...なんてね、こうして他者に対していろいろと思う時点で、かなりのエゴのかたまり、と思うんだけどね、まだまだ修養中の身なので、とイイワケしておく。

理想としては、『中庸』でいたい、んですけれど、本当に難しいことです。表面的なことだけに喜んだり、いやなことには気持ちがひきずられるし、ちょっと知ったかぶりになりたがったり...自分の中の「子ども」とそのたびに向き合うような、そんな感じです。


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もう少し物事を深いところから見たいなぁと思う。生活の大半においては、いちいちそんなふうに考えてもいられないけれども、少なくとも、人に対しては...家族にはいささか甘え過ぎですけれど...きちんと接したいと思う。そこには、きちんと線を引く、ということも含めて、なんだろうけどね。


その人が心から幸せを感じられて満ち足りた気持ちになれる、というのは、その人自身が何かに気づかない限り、本当に難しいことだと思う。それは人にいわれてもなかなか気づかないしね...。