6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

わたしの見たものが現実

今日は少しお役がらみの作業が済んで、お友達母といっしょにお茶をしに園の最寄?のファミレスへ。水曜の午前保育の日なので、そのファミレスは「●●幼稚園御用達」みたいな感じで、禁煙席のあちこちに...ほぼ8割がた、園の母たちのグループで占められていた。


わたしの中では、もう幼稚園生活というのは終わっていて...というのも変ですが、わたしの感覚はすでに先にいっちゃっています。たぶん5月くらい。2ヶ月くらい先の予定を見ながら、準備したり作業したり考えたりしていたせいもあるし、このところのスピリチュアルな学びが深まったせいかなと思っていて。


スピ的な思考がないと受け入れにくい部分かもしれないんだけど、わたしの中では大いなる変化が起こっていて、随分とスピ的な知識や思考方法が頭に入ったし、自分なりに心構えなり拠り所となるものをしっかりと持ち、行動するように心がけているんだけれども、まだまだ始めたばかりとはいえ、それでも「わたしの中では『大いなる変化』」といえるだけのものがあって、そして、過ごしている毎日も随分と変わったように思う。


その先取り感があって、次に、つながる人とはつながるけれど、つながる必要のない人とはつながらない、というようになってきた。今までは自分から頭を突っ込んで、あえてつなげてしまっていた、というのもあったのかもしれないけれど、「つながる必要がある人とだけつながる」という心構えから、現実がそうなった、と感じるわけで。今後は「いいことがあれば悪いこともある」わけだから、学びや気づきを得るために必要なつながりとして、わたしにとってはしんどいこともあるのかもしれないけど、いずれにしても「必要なこと」としてとらえたいとも思っている。


今は「ご褒美」をいただいているのか、いろいろなことがまわりで起こっているみたいだけれど、とりあえず、その火の粉がかかることはなく、静かで穏やかな毎日を過ごしている。それは別の人が被ってくれているおかげ、というのもあるんだろうけど、ね。今日も、周囲のテーブルを見渡して、その顔ぶれを思うと、結構『いろいろとある』メンバーだったりするのだけれど、幸いなことに、わたしには直接関係のないことばかりでね。とやかく言うこともなければ、思う必要もないわけで、人と人の付き合いの中だと、そういうこともあるんだな、というのを見せていただいている、というかね。


わたしが見ているものが、わたしの現実なんだなぁと思います。

感謝の気持ちも絶えず湧いてくるような、そんな感じで。ありがとうございます。