6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

モチベーション...というか、なんというか。

3学期は大きくふたつのイベントがあって、それらのことを熱心に取り組んでいる次第。調べながらいくつかの書類を作り、必要な人たちに伝えたり、意見を少し集めたりしているんだけれど、なんだかすっかりモチベーションが下がっている...いや、厳密に言うと、作業自体に対しては、ぜんぜんがんばってやっているのだけれど、どうも「結果」に対して、わたしが感じる「もやもや度」が消せないというか。


自分が引き受けていたり勝手に抱え込んでいたりするだけで、何も評価や反応が欲しいわけではなく、淡々とあくまで「自分のために」「自分の動機で」行っていることなんだけれども、ちょっと...なんだかネガティブな感情がすーっとよぎるんだよね、最近。褒めてもらっていたり、労っていただいてもいるけれど、なんだか自分はその場になじんでいないような...なんでだろうかなぁ。相手のことを信用できない、という気持ちがむくむくと。


いや、信用できない、なんていうと、とっても大げさすぎるんだけど...まぁ、「それなりの扱い」みたいな気持ちになっているんだよね。作業や仕事をするのは(えり好みをしたり、自分で勝手に引き受けているところは自分に非があると思いながらも)本当に「自分のため」という感じなんだけど、どうもそれに対する周囲の人たち...とりわけ、すぐそばにいる人(たち)の反応がどうも...いや、いささか神経症的になっているな。仕事はするけど、すぐそばの人(たち)とは、少し離れてやりたいような。あんまりそういうことを感じたくない、というか、気を回すようなことになりたくない、というか。


悪く言われているような、そんなことは思わないけれど、軽く扱われているというか、利用されているような...また、そんな自分を少し離れたところから見た人はどう思うんだろうか?なんてね。「へぇー、実はそう思われているんだ」みたいな。結果的に利用されたとしても、それはそれでもいいんだけど、その場にいるのがいたたまれない自分がチラリと感じるときがあって。「仲間」って、いったいどういうことなんだろうな。わたしの状態が悪いから、なんだろうか(うーん)。


同時に、このことは「自分を試されている」ような、そんな気もしていて。もとより他人に対してどうこう、ってことではない、というのがベースにはあるので、確かに「周囲の人(たち)」と思っているけれど、それを受け取る自分の問題、ということも十分にわかっているわけで...どうしてもそう思ってしまう感情と、頭の部分はちょっと違うわけだ。


気弱になっていて、思わず本屋で買っちゃった本。

願いをかなえて 幸せになる 5つの習慣

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心に疲れがたまっているんでしょうな。

13歳からのシンプルな生き方哲学

13歳からのシンプルな生き方哲学

13歳ではないけれど、見出しを見るだけでも、気持ちがしゃっきりして、つい買っちゃった。


これから少し仕事をして、本を読んで明日に備えることにします。