6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

ほっとひといき

月曜火曜の2日のお休みが本当に貴重なものでした。幼稚園に出たら、たくさんの人に声をかけていただき、心配をかけてしまったことは申し訳なかったけれど。たまたま体調不良が重なったオットも休んだこともあるし、掃除や片付けも意外と進んで、部屋がすっきりしたような気がするし(まだまだ...といえばそうだけど、前があまりにひどかったから)、長女の机周り&長男のおもちゃや本らへんが片付いて、長女も机に向かう時間が長くなったような...ここちよさを感じます。家族にとって必要な休みだったと思います。感謝。


この2日、改めて「人との出会い」について感慨深いことが続いており...それは旧い間柄の方もしかり、幼稚園でもしかり、そして小学校やわたしの趣味の集まりでもしかり。なにげなく過ごしている毎日の積み重ねがあって、こうしてご縁が深まっていったり、新たな気づきにつながることがあるんだ、というのを実感したというか。
勿論、なかなか自分の中で処理しきれないネガティブな思いを抱く相手もまだいて、それを乗り越えられない自分を歯がゆく思うこともあるんだけど、そこを認めつつ、自分なりに落としどころを見つけようとがんばっているところ。


ある人が怒りを抱えていて、それを何度か続けて聞いてしまって、何かその怒りの火花が自分に飛んできたような。わたしまで同じような怒りを抱えそうになってしまって、話を聞いたときに相手の感情をひょいと受け取ってしまったんですね。わたしは関係のないことだし、怒りをもつ筋合いなんてぜんぜんないし、もとより自分だってそんな気持ちは関係ないのも重々承知しているにもかかわらず。あまりにリアルな感情だったので、その場から立ち去ることをしました。数日経って、そのふたりが笑って話しているところに遭遇して、わたしもまだまだ境界線の引き方が下手なんだなぁと痛感しました。わたしが「代理で」怒ることなんて何もないのに、すっかりそんな気分に陥っていました。頭と感覚の乖離。
いやはや、わたし自身、乗り越えられない相手がいて、そこから気持ちや感情が誘発されたのかもしれませんが。


うれしいこともあって、そればかりではないのも、生活なんだろうね。でも、まぁ、こんなことにかまけていられる自分が幸せなんだとも思う。本当の意味で大事なものではないもの。


愛と感謝をこめて、ってところだよね。


もちろん、うれしいつながりがあってこそ、なんだけど。このご縁、ありがたいなぁと実感することもいくつか。「わかるよ」といってもらえるそのうれしさ。ありがとう、って気持ちでいっぱいだし、なによりのなぐさめになって。いろいろなつながりがあって、自分が支えられていて、わたしももしかしたら誰かのほんの少しの支えになれていれば...。


わたしが大事に思うことを忘れずに。自分の軸足はきちんと「いちばん大切な場」に置きつつ、自分にできることを心をこめて。人のためではなく、あくまで自分のため。自分の思いが世界を作る...わけだものね。