6月の雨の庭

中3女子、中1男子ふたりの子どもがいる、40代も半ば過ぎたところにいる母の日記です。

子どものこととなると、やはりせつない

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ひとつふたつ悩み事が楽になったと思ったら、みっつめがやってきた。長男のこと、まだ詳しいことはわからないし、わかったところで親が何かできるわけでもない、といえばそうなんだけれど。

すべてを話してほしいと思いつつ、それって単に安心するなり、自分で解決する方向を指示したいってことかとも。もちろん、突き放せるわけもなく、じたばたするんだけれど。これまでだって、成長の節目が何度かあって、そのたびに自分が親として試されている、というか、大事なときなんだと思うことがあったけれど、とうとう思春期のそれが長男に来た。長男はまだ準備不足なんじゃないか、後ろから押されるように成長させられているようだと感じて、心配もたっくさんあるだけにほんとうにせつない。

自分ではどうしようもない子どものことと比べたら、自分のことで悩んだほうがぜんぜんいい。これまでどんなに楽をしていたのか痛感する。子どもには必要なことなんだけども、それでも心をぎゅーっと握られているようだ。おかげで自分のことは完全に抜けられた(ように思う)。

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たまたま本屋さんで見かけて、ぱらぱらっと見て衝動買い。 

からだはみんな知っている はじめてのクラニアルセイクラル・セラピー (祥伝社黄金文庫)

からだはみんな知っている はじめてのクラニアルセイクラル・セラピー (祥伝社黄金文庫)

 

 絵もかわいいし、紹介されている体操もごくごく簡単で負担にならないし、アロマの話もためになりそう。この本のそれぞれの章立てを見て買っちゃうあたり、悩んでいたんだなと思うのだけれど。読みものとしてもなぐさめられていて、ゆっくり読みたい。買った後で気づいたけれど、結構前の本、なのに、書棚の目につくところに並べてくれていて、かの書店に感謝。

本屋ごとに、ある程度回る順番が決まっているのだけれど、そのときどきでゆっくり見たいところが違っている。単純に発売日やらそのときの興味があって、という「頭」でわかっていることもあるのだけれど、そのあとは「心」に従うようにしている。少し手をかざすようにして引っ張られるほうに進んで当たった書棚らへんで本を探してみる。さらに、平積みの本に手をかざしてみると手に取りたくなる本があるような気がする。さらに、そこから買う本となれば、「意外」なことも多い。

あとで横になって読もう。すぐに寝ちゃいそうだけど。

たまたま、病院デー。

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しつこく体調・気力がイマイチな件。

ourage.jp

こちらの記事を読んだら「これだ!」と思うような。くるぶしのあたりがむくんで、ぷにぷにになっていて、排出が悪い。そしてこのところは「小麦」があんまりよくない(顔がかゆくなる)。

今日はひさしぶりにリフレクソロジーにでかけてオプションもつけた。ア●ゾンでエアーマッサージャーも(DMに導かれ、まんまと買わされて)届いてやってみた。とにかくケアすることが大事。

グルテンフリーはなかなか難しいんだけど、極力減らすようにはしている。ただ、結構難しいのは変わらず、いっそのこと(今、話題の)「不食」のほうがよいのかもしれない。空腹を感じるまで食べない、というようにしているけれど、その感じる具合がまちまち。まだまだ工夫が要る。

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ツカレタと夕方の家事までの間、少し休んでいたら、長女の学校から電話があった。部活でシャトルが目に直撃して、そのまま校医の眼科に(タクシーで)連れて行こうと思うのだけれど、そこまでお迎えに来れますか?とのことだった。

検査したら角膜に傷があったものの、角膜だけと聞いてほっとした。本人も痛みはなく遠くが見えづらいけれど(最近あまり使っていなかった)めがねをかければ大丈夫というので、部活も出てよいそう。

眼科について入口のガラス戸越しに顧問の先生と話す長女の姿を見て、しばらくそのまま眺めていたいくらいだったんだけど。なんだか、外にいる、少しオトナ風にふるまっている、よそいきの姿、というか。中3だと思えば当たり前だけど、大きくなったなぁと思った。

次回、傷が治ったことを見せに受診するのだけれど、繁華街の、それも少しいかがわしい界隈にある眼科なので、次も付き添わないとなぁ...女医の先生だったし、説明も丁寧でとてもよい眼科だったけれど、外に出るとワイルドで女の子ひとりで歩くのは昼間でもちょっとコワイ...もっと学校周辺に校医を頼む先はなかったのか?と思わず、ちらり。

部活中にけがをするってよくあることなんだろうけど、顧問の先生はとても細やかな気遣いがあって、厳しいけれど、とても公平だと長女は言っていただけあって、今回も対応に信頼できただけでなく心遣いも感じて、ひたすら感謝。こういうときに気持ちが出るよなぁと、ついどこぞやの小学校のことを思い出した(長男によくしてくださった養護の先生だけは心がこもっていたけれど)。

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たまたまだけど、わたしは先日の検査結果を聞きに朝イチに病院に行き、オットは人間ドックに行き、そして長女は眼科へ...という「受診」続きの日。オットもわたしも数値に異常はなく、長女も大事には至らなかったことがなにより。

今年度の「絵本まわり活動」w

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今年度も小学校の読み聞かせが始まったそうだ。数人の方より話を聞く。昨年はこうしたああした、●●さんに引き継いだ、というのは伝えるけれど、わたしの中で線を引いたつもり。とはいえ、相変わらずの、学校側やら先生の話を聞くにつけ...というところは割とあるし、だからこそ、説得できないまでも、ごくごくわずかでも意味や意義を理解して対応できるとよいのだけれど。

...と書くと、非常にアツい人間のようで、それもまたわたし自身としては、ちと違う感があるんだけども。数名の「アツい」人より、等しく(ある意味平均的な感じで)共有した上で活動できないものかなぁとハタでは思っている。

先日も親しいボラのメンバーの方と少し話して、講習会なり交流会なりを開いて、スキルアップ、情報交換や共有、先輩の読み手の方から話を聞くことで、自分の楽しみもあれば、活動そのものが充実し、学校側とのかかわり・はたらきかけにも必要だと思うんだけど、どうもイマイチのようで残念。日程と場所の調整が大変なのか、そういう雰囲気がないせいなのかはよくわからないけれど、余計な口出しはやめておく。

代わりに、先日幼稚園に出かけた折、今年度の図書部の代表の方と連絡先を交換して、第2回読み聞かせ講習会の件を話し合っているところ。昨年の講習会を受けて、今年度は園内でのおかあさんの読み聞かせの日程を少し早めたと聞いてうれしい。聞けば、秋に有名な...さんをお呼びして講演会も開催するそうで、それもまた楽しみ...。

種を蒔くとすぐに、かつ、たくさんの目が出る場。小学校でも経験が長い人ほど、いろいろな感想をちょうだいしたり、話が盛り上がるのだけれど、その人たちを除いた大部分の人たちには残念ながら期待するほどにはならない。かの幼稚園と比べてしまうことがどだい...なんだけど、手ごたえがぜんぜん違う。

そういう温度差も「込み」で理解することも必要なんだけども。

たくさん読み聞かせをしたからって本好きになるとも、読解力?が身につくわけでもあるまい。今はスマホやらタブレットなどなど、ゲームをさらに強力にしたものがあるんだからますます本の影響力がなくなるのは確かだけど(実際、自分んちの子どもたちはもとより、わたし自身もそうだ)、だからこそ、の部分もあるよなぁ、と思う。

もちろんなんらかの期待がないわけではないし、よかれと思ってやっているにしても、単純に見返りを求めて読み聞かせがよいと思っているわけでもない。自己満足でも、その場限りでも「たのしい時間」として共有したい思いがある、というか。「どうせ」楽しむのなら、「どうせ」自己満足であるのなら、「よい絵本」を少ない機会に読みたいし、「よい」とはどういうことかしっかりと理解して絵本を選びたい。

...なーーんて、残念ながら、もうわたしは読み手としての場はないんだけどねぇ。「よい絵本」とは何か、というのを深めたいだけ。

あと1年もたたないうちに高校生、だから

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少しあいだが空きた。なんとなくだるい感じと気力がわかなくて。少し緩めようとしたら、結構緩めてみても回復しなかった、みたいな。


今日、本屋さんで思わず買っちゃった本。

週刊東洋経済 2015年 6/27号[雑誌]

週刊東洋経済 2015年 6/27号[雑誌]

 

国公立大学に進学してくれたら、と思わないでもないけれど、自宅から通える範囲で(「経済的な面」のみで考えれば、遊学させてしまったら国公立である意味が薄れる)と思うのももちろんあるけれど、現在の長女の様子を見ていたら、私立なんだろうなぁと思うと、つい。

相変わらず、偏差値による序列やら就職活動時のフィルターやら、なんだか自分のころと殆ど変らないじゃん、という感じ。人気によって具体的な位置づけに変化はあったにせよ、なんだかその「変化」を知るだけに買っていて、「構造」としては親世代とあまり変わらないんじゃないか、というのが正直な印象。これを書いたのがちょうど自分のころの世代なのかな、と思ったり、鵜呑みにしたくないという気持ちもあるのだけれど。

それはさておき、長女はどうしたいんだろう?というのがいちばん大きい。「やりたいこと」を実現するための大学選びならともかく、なんとなく自分が得意だと思ったり、なーーんとなく興味がある方面を、というような安易な選び方だったりすると(大学側からこそ選ばれるにせよ)どうするのがよいのかなぁと思うのだけれど。おまけに「女子」だしねぇ。まだまだ同じようにはならない...はず。

理想は、やりたいことが決まっていてそこから学部を選んで学校を選んでほしいのであって、もっというと、そのやりたいことが「職業」だけではないこと、かなぁと。大学が職業訓練校となってほしくないし、漠然とした就職を意識して(どういう方面に進むかわからないからこそ「つぶし」がきく、みたいな考え)、ではなく...と思いつつ、同時に、それでも仕事に就くこともないがしろにはできないよな、とも。

ほんとうに自分の経験が活かせない子育てなんだろうな、と思う。もちろん、そんな年になったんだったら自分で決めればいい、と突き放すこともよぎるけれど...そこまでやっぱりできないんじゃないかと弱気な部分のほうが大きい。実際、再来年にもなれば、親子でどこかの大学を観に行ったりしているんだろうなぁと...ほんの数年前には「えーー、そんな年齢になっても?!」と思っていたであろうことを今となっては「やっているだろうなぁ」と思う変化。なんだかなぁ。

いろいろと転換期、なんだろう。

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先月は予定続きのため泣く泣くキャンセルしてしまった刺繍教室にやっと行けた。先日いっしょに出かけた、長女の学校の先輩のお母さんとごいっしょで、作品も子どものこともそれぞれちょっと先のことを伺いながら進めてきた...といっても、思った以上に不慣れ、イイワケすると目も厳しくて布目を眺めて「ここっ!」というところに針を出すことがむずかしい。自宅で復習してみたら、メガネをずらして裸眼で見ると糸通しも楽だった。うーん、そういうこともあるんだなぁ...。

占いを見ていたら「そうなりそうな」予感の星回り。ある意味、転機なのかとも思うし、変化なんだと思う。いいことも悪いこともそれぞれあって、意外な展開も徐々に感じる。「来るものは拒まず、去るものは追わず」、ちょっと考えるところもいろいろあって、感情もないわけではないけれど、あまりこだわっていても仕方ないというか。相手があってのことだからなんとも言い難いんだけれども。だからこその、というか。

頭と心の間ではいろいろとぐるぐるすることもあり...。自分なりに決断するときでもあるんだろうな、さて。

自分にとって大事にしたいことはなんだろう、と考えれば自ずと答えは出てくるかと思う。

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しばらく気持ち的に追われているような気がしていたし、気がかりなこともあった(ある?)のだけれど、ちょっとだけ解消しつつあるような。

少なくとも余裕がないときこそ、しっかりと時間の区切りをつけるとか、自分に与えた時間には思いきりリラックスするとか、なるべく休むようにするとか、食べ物を気をつけるとか、そういう小さいことが大事。そうする中で気持ちも変わってきて、気づくこともある。

喉につまった感じが強くて、食事のときに飲み込むときに違和感があるし、誤嚥しそうな感じはまだある。アレルギーはだいぶ落ち着いてきたんだけれど、今度は右手がずっとしびれている。動かしたりものを持つと痛い、ということはないんだけど、何割か力が入らない。手の甲、手首からひじにビリビリしていて、まさに正座をしていて足がしびれたときの、その名残程度のしびれがずっと続いている。これは初めてのこと。なんのメタファーなのかな?右手、というあたり、思い当たるところがないわけではないのだけれど...スマホのせい、というのも(まじめな話)ちょっと違うかなぁ。

思春期まっただなかの中学生...

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昨日午後からは長女の学校の保護者会、思春期の娘を持つ母としては勉強のことも気になるけれど、不機嫌でむすっとすることも気になるわけで。「あえて正面からぶつからず、その時期は意外にも自己評価がとても低くて自信がない」「絶えず友だちと比べて気にしていて、自分でもわかっていることがあるから、顔を合わせるなり、勉強のことをあれこれ言われたくない」と聞いて腑に落ちた。

長女には(時に長男にも、だけど)頭ごなしにがつんと言ってしまいたいときもしょっちゅうあるけれど、経験上、なにひとついいことがないというのがあるので、『自分のそのころを思い出してみたら...』と自分に言い聞かせて、ひと呼吸おいている(確かに、そのころの自分と比べたら、ひどさの程度が違う)。親業でいうところの「問題なし」領域として話をしているけれど、そのおかげもあって(きっと自分に不都合なことは言わないんだろうけど)いろいろと話せるようになった。たまには「本気で怒る」ことも大事だと思うので、抑えられなかったら頭ごなしもアリかもしれないけども。

ただ、SNSのことは心配。学校の名前やクラスがわかって、誰でも検索できる状態になっていると...学内での周りからの印象もあるし(仲間内ではない人たちにネットと実際のギャップで不用意に誤解されるのもどうかと思う)、外の人たちからストーカーのようになったりするのではないかということ。学校からのプリントは「正しい」けれど、ちょっと現実からは距離を感じた次第。どこかの女子校みたいに外部の業者に「取り締まり」されるのもどうかと思うけれど、同時にそのくらいの安全策は要るのではないか、とよぎるときもある。

先日の宿泊つきの校外学習のおり、そのときは先生方がかなり話し合いを重ねて、結局、ケータイやスマホを預かることになったそうだ。話を聞いたら「傷つけたらいけないので丁寧に扱った」こと、「朝の礼拝時にアラームがなって、駆けつけてとめた」など、確かに集めることは強制だけれど、それに対する思いにも触れて、にもかかわらず、生徒の中にはこっそり提出せずに持っていた子もいたらしく、改めて子どもたちにも考えてほしいと思った。注意された子は「わたしだけではないのに!」と反論して、ある先生が本気で叱ったと聞いた(この子は授業中にも鳴ったのに名乗り出なかったことがあるらしい)。こっそり隠れてやるってことはわかるけれど、バレたら潔くしないといけないし、もとよりそこまでしてやりたいと思うことについて自分自身でよーーーく考えてほしいと思ったけれど、わからない子にはわからないんだろうな。

自分としても、いろいろなことを迷いつつ、それでも子どもと話していくしかないし、その中でわかってもらったり、わたしも知ることもあったり、だろうな。いつも思うことだけど、自分の経験が生かせない(ない)中でやっていくのって、ほんとうに大変なこと。

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そうそう、長男の中学校の着替え問題も気になっているんだけど(ちょっと違うアプローチを検討中)、別の区の公立中では「はさみ・カッター、コンパス」に至るまでいったん回収しているんだとか。家庭科の被服の作業では、自宅で布を切ってくるように、ということになったと聞いて驚いた。どのくらい荒れているのか知らないけれど、そういう扱いを受けることについて「信用されていない」と思わないのかしら。確か、小学校でも彫刻刀は集めていたかなぁと思うんだけど...それもまた衝撃だった。

気持ちも新たに...

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ちょこちょこと予定続きの今週。家庭内事務作業もあれば、中学校の委員会のこともある。明日は長女の学校の保護者会。合間にあちこちの方と連絡...7月が近くなり、夏休みまでの活動があちこちである。

先月の講演会のご縁が新年度の幼稚園での集まりにはずみがついた。もともとのメンバーもつながって、何かできるのではないかとこの先の展開にわくわくする。次なる一歩につながるために来月顔合わせもするし、また新しい方を連れて来てくださるそうで、若いお母さんたちとお話しすることを楽しみにしている。わたしも既知の知人に声がけをし、今後の展開に合わせて何かアドバイスいただけたら...とお願いしたところ、これまた快いご返事を頂戴し、うれしい。

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昨日のお昼は、長女が未就園児のときに親しくなった友だちと久しぶりに会う。長女より1歳上のお嬢さんは亡くなって8年が経つ。闘病中のお母さんとも数回会ったし、その経過も(すぐ近くではなかったものの)伺っていた。どんな気持ちなのか、想像すらできないことで、わたし自身、素直に偽らざる気持ちで接するしかないんだけれど、そのお母さんの人柄で、とても深い時間を過ごせた。

どうなるかわからないのはある意味平等なんだろうけれど、とはいえ、あまりに残酷であり、どのように言ってもうすっぺらい。だけど、自分なりにお嬢さんのことも、そのお母さんのことも思うこと、そして祈るだけであっても、わたしにとってはとても意味のある、大事なこと。もう少し時間を作って会う機会を増やしたいと思う。

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最近の世の中を思うと、いろいろと...なんだけれど、だからこそ、なるべく後悔しないように毎日を過ごすしかないんだよな、とも思う。人との交わりの中でこそ、しあわせってばないということで、家族はもちろん、身近な人たちと「人として」よい時間を過ごせるよう、改めて謙虚な気持ちになった。まだまだ好き嫌いも多いし、他人の意見を尊重したいと思いながら、自分の我が出てしまうことも反省しつつ、なんだけどれも。

そして、いやになりがちな自分に対しても、それをひっくるめて(こっそり)大事にするってことも必要なんだと思う。未熟さを責めても仕方なくって、次のことを考えて、素直にひたすら少しでもよくなるように。

それにしても、なかなかグルテンフリーになりづらい。執着ってばおそろしい。山にこもって断食するくらいじゃないと、できないのかしら(これは自分を甘やかしているだけであって、大事にするどころか、文字通り粗末にしていることを自覚すべし!>自分)。